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知識構成型ジグソー法そのものを否定するわけではありません。
ただ、ジグソー法界隈の先生方の教材や実践例報告などをみていると、どうも先生方の自己満足に陥っているような気がします。もちろん、勤務校の生徒さんのレベルに合わせて作られてるのだとは思いますが…。
アンチ・アクティブラーニングではありませんが、“(エキスパート資料が長過ぎて)国語的だ”という指摘には傾聴すべきものがあると思いますよ。

まず自己満足をどのように捉えているかお示し下さい。知識構成型ジグソー法は、生徒の実態に合わせて、生徒の学びを多様な学習活動から見取り、そこで得た学びの事実をもとに次の授業改善を行ったりフィードバックを行ったりするなど、極めて現場の生徒の学習状況を重視する授業手法です。これのどこが自己満足なのでしょうか? ちなみにエキスパート資料は学校によって変わります。たとえば私は定時制高校にいたときは400字で作成し、中堅上位校ではA4一枚、進学校の佐伯先生の授業はA3と、生徒の実態に応じて長さはかわります。これのどこが長すぎて国語的なのか、そして自己満足なのか、お示し下さい。

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