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仏説無量寿経の本願成就文より、「その名号を聞きて信心歓喜せんこと、〜」とありますが、名号を聞いて信心が起きるなら南無阿弥陀仏(名号)を聞く必要はありますが名号を言う必要性はないのではないか?と思います。

私がお世話になった先生からは「名号を称えるものを極楽に往生させる」と教わりましたが、本願成就文と意味合いが変わってくるのでどう解釈すればいいのか分からなくなりました。

それとも、七高僧や親鸞聖人がお経を解読して、本願成就文を「名号を称えるものを極楽に往生させる」と私たちに分かりやすい形したのでしょうか?

本願成就文の「その名号を聞いて信心歓喜せんこと」の部分が、「名号を称えるものを極楽に往生させる」と意味合いが変わっているとのことですが、実際は変わったことを言われているのではありません。 名号を称えることは、そのまま聞くことになります。 「名号を称えるものを」と言われたのは、善導大師と法然聖人です。より具体的に私を助ける法を明らかにして下さいました。

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