ご質問ありがとうございます。 結論から言うと、「テクストをちゃんと読むこと」「自力で考え抜くこと」以外には道がありません。 ただ、そうは言っても、もう少し分かり易い道案内はないのか、と思われると思います。 残念ながら、だいたい「よくわかる~」を謳っている解説本ほど、内容が薄く、結局一次文献にあたる際にはあまり役に立ちません。哲学に関して言うと、ネットで得られる情報と、アカデミズムの研究論文では質が比較になりません。確かに、専門家の研究書は難しいと思います。それを読んで、何かがわかる、ということはまずないといっても言い過ぎではありません。 それでも、安易な解説本に頼って分かった気持ちになるよりは、煩雑な二次文献にも耐えられる思考力を自分で養うしかない、というのが現実です。 というのは、およそ哲学書が読めるというレベルは専門研究についてもきちんと自分の意見が言えて的を外さないというレベルだからです。 じゃあ、どうすればいいのか、ということですが、私は二次文献(研究所、解説書)よりは、あくまで一次文献から読むことをお勧めします。 翻訳でいいので直接一次文献にあたってどうにかして自力で理解する訓練をまずする。限界にぶち当たってはじめて関連する本を読んで幅を拡げる。私はそうして読解力を身に着けて行きました。 たとえば、デカルトだけ読めて、カントやヘーゲルが全く読めない、ということはあり得ません。結局、一冊を理解するために、他の哲学者も理解できなければならない、という現実に直面します。そうしているうちに、二次文献も読めるようになる、というのが本当のところです。 研究書が何の役に立つのかというと、「ここはいい加減に読み飛ばしてはダメだよ」というポイントを一通り指摘してくれることです。巷の「よくわかる解説」はそれをすっ飛ばした価値のない理解なので、実際には「使えない」ことが多いです。とはいえ、「じゃあ、何なんですか」「この本の意味は何ですか」、という問いには二次文献は答えてくれないことが多い。だから、結局自力で読み筋を考えることになります。 それから、語学についてですが、「哲学書は原書で読まないとわからない」というのは専門家はじめ根強く強力な意見です。そして、実際それは否定できない重みがあると私も思っています。 しかし、それだけではないことも事実です。なぜなら、哲学は文献学ではないので、何より自分自身で考え抜く力、他者の思考を自分自身の思考で再構築できる力が求められるからです。語学ができても、この力がない、という人は専門家でも多いと思います。語学の素養はある方が絶対いいけど、だからと言って思考できるのか、というとそうではないと思います。 もっともこれは語学に限りません。数学や幾何学、音楽、文学、体育、、、、およそあらゆるものができた方が哲学にとってはいいでしょう。というよりも、本来は哲学は万能の人間がすべきで、自分のように語学も数学も体育もダメ、音楽はちょっとできる、という人間は哲学者の資格はない、と思っています。 哲学書は、小説を読むよりはどうしても時間を賭けなければならない部分がありますが、他では得られない思考の輝きに触れることができることも事実です。 私も一種の「読み方のコツ」くらいはその辺の有象無象のネット解説よりは心得ていると思うので、よかったら読書会に一度参加してみてください。 https://www.facebook.com/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%93%B2%E4%BA%BA-277118986329481/?modal=admin_todo_tour
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