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 日本語の音素は英語に比べて少ないため、英語詩の方が音響的強度(?)がある、作りやすい、といったことを聞いたことがあります。音素の数と歌われる詩の美学的考察等はあるのでしょうか。教えていた出れば幸いです。
 例えば、日本語しか聞き取れない人物がいて、その人が英語の音素が十全に使用された英語詩の曲を聞いた場合、音響的強度のようなものは高く感じるものなのでしょうか?

こんにちは。ご質問ありがとうございます。 返答が遅くなりすみません。 既存の創作物に対し、テクストがいかに音楽化されているかという、デクラマティオーンの研究であればいくつもあると思います。声楽研究で論文を書く場合は定番の主題なのではないかと思います。 例えば、こういったものです。 小阪亜矢子「ドビュッシー《ステファーヌ・マラルメの3つの詩》第2曲〈あだなる願い〉におけるテクストの音楽化」https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/2000301#.Y0YuE1LP2Uk ただ、異なる複数の言語の話者が、あるひとつの特定の言語の創作物を聞いてどう異なる判断を下すかというのは、私はちょっとわからないです。 例えば、こういった研究についてはいかがでしょうか。 「言語音がもたらすイメージ:その普遍性と文化的特性」 https://cir.nii.ac.jp/crid/1040282257268068736 音声学的アプローチですと、現代音楽なら「フォルマント兄弟」の実践ですとか、 最近聞いたんですけど、ポップミュージックならbo enの楽曲「My Time」とか、その辺の創作が関わってくるでしょうか。 お答えになっていなかったらごめんなさい。

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