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2021-09-12のエントリーを読ませていただきました。
「「ただ今救う」というお知らせは「ただ今救う」という働きそのものです。」とありますが、その働きが私の上にあらわれないのは、私が拒否しているからでしょうか、それとも疑っているからでしょうか、それとも救いに手出しをしているからでしょうか。

言葉は違っていても、「拒否する」「疑っている」「救いに手出しをしている」は、根っこは同じものです。南無阿弥陀仏のお働きより先に、自分を優先している点です。阿弥陀仏が私が救いを求めるより先に、阿弥陀仏は私を救う本願を建てられ、その本願は成就しました。私は、その南無阿弥陀仏により助けられる側なので、阿弥陀仏の方からの注文はありませんし、私の方から何かを付け加える必要は元々はありません。 無いところに、何かあるはずと付け加えようというのが自分を優先する考えです。

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