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信の遅速は宿善(善を積めってことじゃないらしいのですが、よくわかりません)によって決まるとはどういうことですか

お尋ねのご文は御一代記聞書307の以下の箇所かと思います。 「かやうに宿善も遅速あり。されば已今当の往生あり。」 ここでいう「遅速あり」は「宿善」のことですが、文脈から「宿善が開ける(信心をうる)」こととなります。 信心をうるのに、既にえている人、今えている人、これから先にえる人がいると言われたものです。 これは「皆同一時間に救われるわけでは無く、前後がある」と言われたものですが、その「前後」は何によって決まるのかは書かれていません。 ではどうするかについては 「とにかくに、信不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなり」と言われています。 信をうるには聴聞一つです。その上でより早くなる方法というのはありません。

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