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こんばんは。質問…というかちょっと思ったことで、何か反応をもらえたら嬉しいです。

肉食について、動物倫理学の観点から肉食はするべきでない、ないしは控えるべきだという規範が出てくるのはわかります(私は賛同しており、厳密に流行っていないですが消費を減らそうとしています)。

しかしちょっと気になっているのは、たとえばシンガーは先進諸国の住民は収入の10%を寄付すべき、という旨のことを言っていますね。ペットボトルの水を買うならば寄付しよう、みたいな話もしていました。すると、ある種の文化的娯楽みたいなものは全部ダメ…とはいわなくとも、たとえば製作に何十億円とかかっているハリウッド映画はだいぶまずくて、そういう消費はやめて貧困や飢餓を救おう、みたいな話にもなったりするんじゃないかなと。動物倫理の話だけならまあ共感、実践、普及されることがある程度可能かなとおもうのですが、「映画をやめろ」になるとちょっと難しいなという印象です。理屈では正しいと思っていても従えない、ということが人には当然あるかと思いますが、たとえば苗野さんは「映画をみることは途上国の貧しい人々の利益を侵害することに通じているから…やめるべき」という規範が説得的に提出されている議論に出会ったときに、映画を観るのをやめられますか?
これは動物倫理でも、動物倫理というトピック自体に関心がない人には理詰めでいっても絶対に届かないなと思ったのです。メタ倫理とかで何か議論されているのかもしれませんが、道徳的な規範を内在化して行動にうつす際のハードルが当然あって、そのハードルが個人の関心領域とか性格とか習慣などに大いに影響されますよね。苗野さんに罵声を浴びせている、ないしはちょっと調べればわかるようなプランツゾウを繰り返しやっているような人々というのは、筋道を理解して考えを変えたとしても、肉食をやめたりはしないんじゃないかなという気もするのです。他方、苗野さんなどは獣医さんを目指されるくらいだから、ある程度のもともとの関心の方向性くらいはあったわけですよね。そのあたり、どうなのでしょう。
もちろん、苗野さんのTwitter上の活動というのは誤った認識をもっている人には正しい、より合理的な事実や理路を提示するといったことでしょうから、苗野さんに対する批判的な意図はゼロです。
伺えたらなと思ったのは、道徳や倫理の問題に関心をもつということについて、どう思われるかということです。苗野さんが、自身の習慣の中に他者の利益を侵害しているような要素をもっているとして、それを指摘されれば、絶対にその習慣や行為やめるのですか?もしもやめない、ということがありうるのならば、倫理学的な立場からのヴィーガンやベジの方々に対して、そういうことができるのはあなたがたがそういう問題に関心を持ち、意識を向けられるような適性をもっていたからだろう、とか言えるんじゃないかと思えたのです。
長々とすみませんでした。

ブログにて回答致します。

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