
4/17
たわわをめぐる議論は,非常にむなしい,と思っています。ぼくには単なる広告とマーケティングの話にしか見えません。 いえ,確かに,重要な論点はたくさんあると思います。新聞のような有料メディアにとって公共性とは何か。見たくないものを見ない権利について,R18との相違点は何か,あるいは過去掲載された ”萌え絵” との差異はなにか。広告を論じるとき,表現の自由とは誰の何に対する自由なのか。ヌスバウムの議論やその拡張である小宮友根の主張はそもそもどの程度妥当なのか。これら議論がみな有意義なのは間違いないと思います。 しかし,こうしたネチネチした(もちろんそれゆえに有用な)議論に目を向けようとした時点で,すでに ”炎上” という本件最大の要素からは離れてしまうんですよね。炎上は炎上であるがゆえに問題たりうるのに,問題を真面目に考えるほど炎上からどんどん遠ざかってしまう。それがあまりにもむなしい。 一応ひとつ自明なことを述べておくと,権利という言葉はこういうとき役に立ちません。「他の権利と衝突したときどうすればよいのか」という調整原理に対する答えは,権利概念の中には含まれていないからです。それは結局外からもってくるほかありません。 権利なんてものはどこにもないと本当は誰でもわかっているのに,しかしそれゆえにあると主張して維持しなければならない,残酷な真実から身を守らなければならない。いわばイデオロギーとしての権利,これもむなしいものの一つでしょうね。
スポンサーリンク
しましまさんになんでも質問しよう!
質問
スタンプ
スポンサーリンク
過去に答えた質問
※利用規約、プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください
スポンサーリンク