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ある種の推論をして個人的な人物評をするのは、正当な評価になることもあるでしょう。ここでの正当とは、論理的な飛躍がなく事実であると認められる、または飛躍が少なく確証度の高い推測であるというぐらいの意味です。 私が問題にしているのは、仮にそのような正当な人物評であっても、その人物の主張を批判するための論理的な根拠にはならないということです。英語版Wikipedeiaを参照すると、性格や動機やその他の属性を攻撃する修辞戦略とあります。 「言語学的な真実や言語学の学習者のために、言語学youtuberは何をするべきで何をするべきではないか」というのが大枠の議論であったように思うのですが、そこから「彼は職業的な能力も低いのだろう。だから彼は損をするだろう。改めるのが彼のためだ」という人物評を引き出すのは議論の趣旨から完全に外れています。 また、「もしよい仕事をしているのであれば、コンテンツもある基準をクリアする」という前提は質問者のご指摘のとおり、恣意的です。この前提の対偶をとって「彼はコンテンツがある基準をクリアしていない。この基準をクリアしないならば、よい仕事もしていない。したがって彼の仕事はろくなものではない」という帰結が引き出されています。つまり、コンテンツがある基準をクリアしていないという属性を攻撃して、仕事もろくなものではないと人物評をおこなっていることになります。これは明白な人身攻撃です。
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