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「もう頑張りたくない」と毎晩泣いているのに、「頑張らなかった後の未来」を想像すると怖くて頑張ることをやめられません。
私は今学生ですが、成績を維持したり部活を頑張ったり、たくさん頑張ってきました。今やめたらこれまでの私が頑張ってきたものを全て捨てることになってしまいます。そして、きっと未来の私は「もっと頑張れば良かった」と後悔するはずです。そんな悲しい後悔をするくらいなら、今辛い方が良いのかなと思ってしまいます。
昼間はがむしゃらに頑張れても、夜になって燃え尽きてしまうのか「頑張りたくない」という気持ちが強くなります。
今でさえ、少しサボると罪悪感で潰れそうになります。
私は頑張ることをやめるべきでしょうか?頑張らなくなったら、きっともっと辛いと思うんです。
夜分に長文乱文失礼しました。

頑張ることをやめるべきかどうかということですね。 人生というのは、生まれた時から、寄る辺のない海に投げ出されるようなものです。 泳いで泳いで、やっと小さな板切れにすがりつけたと、ほっと一息ついたところで、大きな波がやってきて、板切れを失ってしまう。 また頑張って頑張って泳いで、泳ぎ疲れたところで、今度はもう少し大きな丸太にすがりつけた。 しかし、またしても大波にさらわれてしまう。 そんな繰り返しでは、疲れきってしまって当然です。 じゃあ、どうすればいいのか。 ある仏教では、仏様の声を聞けば、安寧の船に乗ることができるよと言っています。 それはそれでいいんですが、私は、「目的地が見えていること」が大事かなと思います。 その目的地は、楽しくて、心が踊るような場所です。 そこに辿り着くのは苦しいかもしれない。 板切れにすがりついても、また大波にひっくり返されるかもしれない。 それでもそこに辿り着きたかったら、板切れにすがりついて休憩しながらでも、頑張って辿り着きたいとは思いませんか? その目的地がね、楽しくも何でもなさそうな場所で、「みんなこちらに行くんだから、あなたも行くべきですよ!」って言われてたらね、頑張って泳ぐのは嫌じゃないですか? 疲れきって、もう腕も上がらなくなるのは、わかりきってると思います。 だから目的地はね、「みんなが楽しそうにしてる」ではなくて、「私が楽しいと感じるかどうか」が大切だと思います。 だから、人それぞれの目的地に進んで良いんです。 そのためには、体を休めそうな板きれは、何でも利用して休まりましょう。 人間には、今まで払った時間や資産や労力などが、回収不能(サンクコスト)になることを恐れて、更に追加してしまう傾向があります。 そのことを踏まえて、あなたが今まで頑張ってきたことは何だったのか、冷静に考えてみてください。 あなたの頑張りは、行きたい目的地に向かうための頑張りだったのか、行きたくない目的地に向かうための頑張りだったのか。 目的地をこうと定めたなら、方向転換するのは早い方が良くない? あとね、ちょっとくらい力抜いた方が、プカーッて浮くよと思います。 罪悪感持つことなんて、ないない。 大丈夫。 ここまで頑張ったあなたの努力が、霧のように掻き消えることなんてありません。 頑張ったことは、どこかで必ず役に立つようになっているのです。 どうかあなたが、あなたらしく、楽しんで目的地まで泳いでいけるようになることを、心から願っています。

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