頑張ることをやめるべきかどうかということですね。 人生というのは、生まれた時から、寄る辺のない海に投げ出されるようなものです。 泳いで泳いで、やっと小さな板切れにすがりつけたと、ほっと一息ついたところで、大きな波がやってきて、板切れを失ってしまう。 また頑張って頑張って泳いで、泳ぎ疲れたところで、今度はもう少し大きな丸太にすがりつけた。 しかし、またしても大波にさらわれてしまう。 そんな繰り返しでは、疲れきってしまって当然です。 じゃあ、どうすればいいのか。 ある仏教では、仏様の声を聞けば、安寧の船に乗ることができるよと言っています。 それはそれでいいんですが、私は、「目的地が見えていること」が大事かなと思います。 その目的地は、楽しくて、心が踊るような場所です。 そこに辿り着くのは苦しいかもしれない。 板切れにすがりついても、また大波にひっくり返されるかもしれない。 それでもそこに辿り着きたかったら、板切れにすがりついて休憩しながらでも、頑張って辿り着きたいとは思いませんか? その目的地がね、楽しくも何でもなさそうな場所で、「みんなこちらに行くんだから、あなたも行くべきですよ!」って言われてたらね、頑張って泳ぐのは嫌じゃないですか? 疲れきって、もう腕も上がらなくなるのは、わかりきってると思います。 だから目的地はね、「みんなが楽しそうにしてる」ではなくて、「私が楽しいと感じるかどうか」が大切だと思います。 だから、人それぞれの目的地に進んで良いんです。 そのためには、体を休めそうな板きれは、何でも利用して休まりましょう。 人間には、今まで払った時間や資産や労力などが、回収不能(サンクコスト)になることを恐れて、更に追加してしまう傾向があります。 そのことを踏まえて、あなたが今まで頑張ってきたことは何だったのか、冷静に考えてみてください。 あなたの頑張りは、行きたい目的地に向かうための頑張りだったのか、行きたくない目的地に向かうための頑張りだったのか。 目的地をこうと定めたなら、方向転換するのは早い方が良くない? あとね、ちょっとくらい力抜いた方が、プカーッて浮くよと思います。 罪悪感持つことなんて、ないない。 大丈夫。 ここまで頑張ったあなたの努力が、霧のように掻き消えることなんてありません。 頑張ったことは、どこかで必ず役に立つようになっているのです。 どうかあなたが、あなたらしく、楽しんで目的地まで泳いでいけるようになることを、心から願っています。
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