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これは19~20世紀のベルギーの歴史家、アンリ=ピレンヌが提唱したもので、「ピレンヌ=テーゼ」と呼ばれます。 マホメット⇒ムハンマド、 シャルルマーニュ⇒カール大帝(フランク王国) 7世紀にムハンマドが登場、イスラームを創始した彼はアラブ人国家建設に乗り出しました。アラブ人は、ビザンツ帝国の領土を侵略(アラビア半島)。これに対し、ビザンツ帝国は、アラブ人撃退のため戦います。一方ランゴバルド人がイタリアに侵入、これを受けてローマの教皇たちはビザンツ皇帝に、その撃退のため援軍を要請。しかしビザンツ軍はアラブ人との戦いで疲弊、援軍を出すことは厳しいものでした。 そこでローマ教皇は、フランク王国に援軍を要請。数あるゲルマン人国家の中で一番の力を持ち始めていたのがフランク王国でした。 こうしたフランク王国の活躍がローマ教皇に認められ、800年にカールの戴冠が行われました(ローマ教皇・レオ3世による)。 以上により、ムハンマド(マホメット)がいなければ、カール大帝(シャルルマーニュ)がいなかった、という理論がなされています。
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