
恐怖政治の始まりはサン=キュロット主義が国を握ったことに始まります 言うならばサン=キュロット(貧困層)が中央政府に圧力をかけて、恐怖政治を行わせた暴民制度に等しいものです サン=キュロットは過激的なので、モンターニュ派とも対立をし、サン=キュロットの代表者であったエベールはロベスピエールに粛清されます しかしながら、サン=キュロットは俄然力を持ち、内戦の激化、対外戦争の激化により、サン=キュロットは総動員令要求し、これらが恐怖政治を必要とされた要因です 内部の敵を一掃し、国民を革命保護のためにその身を捧げさせる そうやって一致団結する必要があったので、その一環として恐怖政治を必要とされました ロベスピエールが独裁的に行ったと誤解されがちですが、公安委員会は複数人から成り立つ組織であり、その中でロベスピエール派はクートンとサンジェストだけです むしろ独裁からは程遠い状態であり、ロベスピエールが単独で恐怖政治を行える状態ではありませんでした ロベスピエールを独裁者と、圧倒的権力を有し国を害したとの印象は、クーデターを起こし身の保身を図った政治家たちの都合のいいスケープゴートなのです 話はそれましたが、恐怖政治は我々の平和な時代ではあまり共感できない話ではありますが、非常事態における超法規的措置だったわけです そしてそれを望んだのは、紛れもない大多数の国民だったのです ちなみに恐怖政治はバラス、タリアン、フーシェなどが計画したテルミドールのクーデターにより終わりますが、そもそもとして彼らは恐怖政治を終わらせるためにやったのではなく、ロベスピエールの行おうとした反ブルジョワジー政策実施による支持の減少、利害の対立故であり、彼らは恐怖政治打倒のためではなく、むしろ彼らは率先と恐怖政治を実行し、利益を貪っていた悪徳政治家達でした 恐怖政治は非常事態における国内の引き締め、統一目的のための超法規的措置であったため、戦争が一旦収束に向かい始めると、恐怖政治の必要性も薄くなりました
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