4/8

生まれたときから神社の神様にお世話になっており、苦しい時の願いごとをきいてもらったり、お御籤でアドバイスも貰ってます、 
キリスト教の神とは違い神道の世界では神様同士で喧嘩したり、時には悪さをする神様もいます、逆に人間らしさを持っていて親しみをもってます 
最近興味本位で教会に行き、聖書を読みキリスト教の神様に祈るときに安らぎを得ています。
クリスチャンの交流も楽しいです。
私は両方の宗教が好きです
神道の神様とキリスト教の神様にお参りするとキリスト教の神様は怒りますでしょうか?

ご相談ありがとうございます。日本ではキリスト教よりも神道等の方が日本人の生活に身近な宗教ですが、そのような中であってもご相談者様が教会に行き、聖書を読み、交わりの場を持つことが出来ていますことはとても素晴らしいことです。 以下3の視点からご相談者様にお伝えさせていただきたいと思います。 (1) 「教え」ではなく「関係」 (2) 聖書は神様について何を言っているのか (3) 2つ以上の神と関係をもつことについて ——————————————— (1) 「教え」ではなく「関係」 ご相談者様はキリスト教と神道を同じものとして見ているかもしれませんが、キリスト教は神道のような教えの体系ではないのです。神道とは違って、キリスト教は神との関係がすべてなのです。神道に限らずほかの宗教でも同じですが、その宗教を通して人間が「神」または「真理」に近づく方法を教えており、その教えの体系を受け入れれば、それを信仰することができます。キリスト教は違います。どんなにキリスト教の教えが好きであったとしても、また、聖書の教えを受け入れたとしても、聖書の神様との関係がなければ、聖書の神様を信仰しているとは言えないのです。神様がまず私たちを愛し、私たちと平和を持つために、偉大な形で愛を示してくださいました(第一ヨハネ4:10)。そしてその応答として、私たちも神様を愛するのです。つまり、神様を愛さずして、クリスチャンであるとは言えないのです。 また、神社にお参りする理由は、クリスチャンが教会に行く理由と大きく異なります。神社ごとに祀られている神は異なると思いますが、それぞれの神と親密な関係があるかどうかは関係なく、好きな神社に好きな時にお参できますよね。教会はそのようではありません。そもそも聖書にもありますが、教会は建物ではありません。神様との関係を持っている人の集まり、これが教会です(ローマ12:4-5)。 したがって、まずご相談者様が神様と関係を持ちたいのかどうか考えてみてはいかがでしょか。 (2) 聖書は神様について何を言っているのか ① 聖書の神様は唯一であると聖書は教えます(申命6:4)。②また、キリスト教での「救い」とは「神様との平和の回復」を意味します(ローマ5:1)。③また、神様との平和の回復はイエスキリストを通してのみ与えられるもので、それ以外の道はないと聖書は教えます(ヨハネ14:6)。 もう少し詳しく見ていきましょう。 ① 神様は唯一  イザヤ45:5で神様ご自身が他の神はいないとおっしゃっております。 「わたしが主である。ほかにはいない。   わたしのほかに神はいない。 あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。」 ② 救い 神様との関係がない人はすべて、神様との平和の回復が必要といえます。しかし、自分でその平和を回復させることは不可能なのです。そこで、人が負うべき、支払うべき罪の負債を、神様は人の代わりにご自身の一人子であるイエス様に負わせました。イエス様が十字架にかかり血を流すことで、その負債が完全に支払われ、神様から離れて生きていた私たちが買い戻され(贖われ)、そのことを信じるだけで良しとしてくださったのです(使徒16:31,ローマ10:9-11)。こうして神様の元に私たちは戻ることができるようになりました。これが、救いであり、神様との平和の回復なのです。 ③ イエスキリスト以外の道はない ヨハネ3:15にはこのようにあります「それは、信じる者がみな、人の子(イエス様)にあって永遠のいのちを持つためです。」 イエス様を通してでなければこの永遠の命、つまり神様と永遠に共にいること(救い)もないのです。 そこで、私たちがこの聖書のことばを無視して「いや、他にも道はあるさ」「他の神とも関係を持ちたい」と言う時、これを聖書では偶像礼拝といいます。偶像礼拝をすることは、神様が私たちにしてほしいこととは異なっています(ガラテヤ5:19-21,エペソ5:5)。なぜなら聖書では、神の愛する子である私たちがキリストと共同の神の国の相続人であることを伝えています(ローマ8:17,ガラテヤ4:7)。しかし、偶像礼拝をする時、私たちの心は【神様】ではなく、【神様以外のもの】に向けられています。主から離れて自己中心に生きている時、それは聖書では【罪】と言います。罪を持ったままでは、私たちは神の国を相続することができません(ヨハネ福3:3,ヘブル12:14)。つまり、神様と永遠に離されてしまうのです。だからこそ、神様の言葉無視せず、唯一の神様との関係の回復を求めることが大切なのです。 (3) 2つ以上の神と関係をもつことについて 神道の考え方から言うと、何も悪くないと思われるかもしれません。そこで、たとえ話をさせてください。 「さくらさんは太郎さんと結婚しておりました。さくらさんは心から太郎さんを愛していました。しかしある日、けんたさんに出会いました。さくらさんは結婚はしているものの、けんたさんのお家に定期的にいくようになり、けんたさんのことも心から愛するようになりました。」 さて、ここでご相談者様に質問です。 さくらさんは太郎さんのことを本当に愛していると思いますか? 「はい」と答える人はいないと思います。さくらさんは太郎さんと関係をもっていました。その中で別の男の家に行くことは誠実さがないだけではなく、2人の男を「愛する」と言うのは矛盾していると言えますよね。神様との関係も一緒です。神様を愛していると言いながら、別の神の家に行くことは、さくらさんとしていることは一緒です。 私たち人間は1つのものを愛することはできます。そして、愛せるのは1つのものに限るのです。 「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。…」(マタイ6:24) ご相談者様が命のパン(ヨハネ福音書6:35)であり飢えることも渇くこともないイエス様の元に来る時、真理を悟り、愛の中で本当の神様に出会い決断することができますようにお祈りしています。

スポンサーリンク

てもて運営局さんになんでも質問しよう!

質問

スタンプ

利用できるスタンプはありません。

スポンサーリンク

質問する

過去に答えた質問

スポンサーリンク