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なぜ金持ちと知識人は、自然と権力者になるのか?というお話ですけど、ヴィクトール・E・フランクルの著書で似た話を読んだことがあります。
自分にとって意味のある目的を果たそうとする、そのための手段として権力を得る、結果として快楽を得る。副次的に幸福が発生。幸福を目的にすると、幸福の意味を見失い、かえって幸福になれないとありました。
権力は、今の世の中で目的達成のために有効であることを、お金持ちや知識人になるほどの上昇志向のある生活を送ってきた人は、よく知っている。手段として優れているので権力者になるのであって、権力者自体が目的ではない、ということでしょうか?

ここの「権力」は、暴力によって保証されて強制的な権力ではなく、象徴的権力です。象徴的権力は、構造されたものです。主人と奴隷の弁証法の発展と同じように、構造から言うと主体性・能動性が機能してからの話(主体性が先)ではなく、社会の記号システム、つまり宗教、道徳、法律などの発展に伴い、象徴的権力が構造され、強化されたのです。たとえば知識、ラカンにおいては大学の言説であり、フーコーにおいてはディスクール、つまりジジェクにおいてのイデオロギー言説にあたります。それは現代社会において象徴的権力を伴うものです。フーコーの理論で例をあげると、医者が診断を下し病人がそれを受け入れて治療を行う、それは社会の記号システムが医学知識を持ってる医者に象徴的権力を「与えた」からです。別に医学専門の人が「俺は権力を手に入れるのだ」という能動性が働くわけではなく、自動的にシステムによって象徴的権力が与えられた、ということになります。

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