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当方日本皇室の宮殿や宮邸・御用邸の建築文化を調べ研究する事を趣味としている者です。失礼いたします。

旧宮家の賀陽宮様は京都(東山区三十三間堂廻町のあたり)と東京(千代田区三番町のあたり)とで宮邸を構えていたそうですが、どちらが本邸としての役割を担っていたのか、何か情報をご存知ありませんでしょうか?
東京賀陽宮邸が本邸であるとしている情報と、京都賀陽宮邸が本邸であるという情報が錯綜しておりイマイチはっきりしません。

仮に京都の御殿が賀陽宮本邸であるとしたら、現在の京都が唱えている双京構想が戦前は一部実現していたということになるほか、
現在の皇族方が東京に集中している事による、有事・災害時の皇室の安全保障問題でも大変興味深い前例になると思うのです。

分かりませんでした。しかし皇室の地方分散については、明治33年生まれの恒憲王が幼少時の約2年間、聖護院北殿に仮住まいしていたことだけでも充分前例になると思います。ついでに地方に赴かれた皇族軍人も先例になりうると思います。

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