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海外から日本を見ると、さまざまなところに強い偏見が溢れているように思えます。 日本の中にいると、あまりにも偏見が溢れ過ぎていてそれに気がつかないと感じます。 その偏見に「困った」と感じる人が存在しているのに、それに気がつくことが難しい。また声を上げる人を「輪を乱す煩わしい存在」として排除する傾向があると感じます。 またもう一つ感じるのは、日本の人たちは村の掟は気にするし、小さなコミュニティの周囲の目は気にするのに、日本が世界からどのように思われているのか、どういう立ち位置にいるのか、それに対して無知、無関心、無頓着であると感じます。 典型的なのは、人身売買報告書に関することでしょうか。 海外にいると日本の技能実習制度に関する問題は当然認識されていますが、日本語のニュースでそれを取り上げることはほとんどないように思えます。 ロシアとウクライナの問題に関しても中国と台湾の情勢次第では人ごとではいられないのに、どこか対岸の火事と思っている人が多いようにも感じます。 困難を抱えていることを発信するとそれが掻き消えてしまう。逆にその声が届かない。 だから一見して困っている人がいないように見えるだけの社会。 問題に対して議論や対話がしずらく、考え方の違いを受け入れることができず、意見が違うと排除しようとする。 なんとなく生きづらさを感じていましたが、やはり外から見ても窮屈な社会だと感じます。
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