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行政法学習で特に行政裁量の感覚がイマイチ掴めません。裁量の濫用に関する問題を解いて自分の解答を見返すと、社会観念審査や判断過程の過誤といったことばかりを使っていて、本当にこのやり方で合っているのかと疑問に思ってしまいます。

今から書くことは基本的に私の考えであり、行政法学界で一般に支持されているわけではなく、違うことをおっしゃる先生もたくさんいるという前提で読んでください。 まず、社会観念審査や判断過程審査は、学者が裁量審査に関する判例を分類整理するために作り出した言葉であり、裁判官が実際に裁量権濫用の有無を判断したり学生が答案を書いたりする際に適用できるような精度の高い基準ではありません。学説上も社会観念審査と判断過程審査の融合が指摘されることがあるように、判例がこの二つのタイプに截然と区別できるわけではありません。そもそも社会観念審査および判断過程審査と呼べるような二つの審査が存在していたと考える根拠は判例のテクスト上にはなかったと私は考えています。 さらに、学習上の要注意事項として、伊方原発訴訟最高裁判決が判断過程審査のプロトタイプとして挙げられたり、呉市教研集会事件最高裁判決などと並べて位置づけられたりしますが、これは正確な理解ではありません。伊方最判の「判断過程の過誤」に関する判示は、専門機関への諮問手続の存在を前提としたものであり、そのような手続を介しない通常の行政裁量に当てはめることはできません。 したがって、社会観念審査や判断過程の過誤という言葉を使っても答案にならないのは、当たり前です。もっとも、これは質問者さんの勉強不足とばかりもいえず、行政法の教科書で以上のようなことをきちんと説明しているものがほとんど存在しないので、無理もないことではあります。 ではどうするかですが、裁量審査の方法にこだわる前に、処分の根拠法令の要件規定を解釈して、どの条文のどの判断にいかなる根拠(趣旨)で裁量が認められるかをまず特定し、それに従って考慮要素を特定していくという地道な作業から始めるしかありません。このやり方も教科書で説明しているものは皆無で、演習書などには若干記述がありますが、あまり重視されていない印象もあります。しかし私はその作業こそが行政法学習の出発点であるべきであり、司法試験でも裁量の濫用など聞かずにひたすら条文解釈をさせたらいいのにと思っています。神大の私の授業ではこればっかりやります。 とはいえやっぱり裁量についても勉強したいという場合には、以下のものに目を通すといいと思います。私の言っていることと完全に同じというわけではありませんが、条文や判例の丁寧な読解や鋭い分析から学ぶところが多いものです。 大貫裕之『ダイアローグ行政法』日本評論社(2015年)第9回~第11回 山本隆司「行政裁量の判断過程審査」行政法研究14号(2016年)1頁以下 同「行政裁量の判断過程審査の理論と実務」司法研修所論集129号(2020年)1頁以下

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