総合型選抜って昔AOって呼ばれてたやつですよね? まず前提として僕はそれに落ち、一般で受かって入りました。 まず実践的なことを話します。 文芸学科のAOは、5階の「ラウンジ」および「資料室」という場所を公開し、そこで席を自由に決めてください、資料室に置かれている本も自由に使っていいですよ、と言われて試験をします。 僕は小説は一人で書くものだと思っていたので、隣の人がどんどん文章を書き上げていく様がノイズになり集中を削がれました。 なのでどこに座るかが地味に大事になってきます。 おすすめは、資料室に入って右手側にある壁沿いの席です。ここは左右に仕切りがあり、ある程度落ち着いた状況で作業ができるはずです。 また、僕は上記のように本当に人がどれだけ進んでいるか、ということが気になってしまうたちだったので、耳栓を持っていくといいかもしれません。耳栓をしていても注意はされないと思います。 あとは、文章は最後まで埋めてください。最後というのは3100字くらいまでです。僕は2700字しか書けませんでした。 メンタル面ですが、 最も望ましいのは「落ちてもまあ一般で受かりゃいいか」という意気込みを持つことです。一般で受かる方が確実だし、なんだかんだ作家デビューしてる人は一般勢が多い気がする。 あと誰とは言いませんが文芸学科の先生が、今年から一般入試のウエイトを上げた(総合型選抜の通過人数を絞った)と言っていたので、落ちても仕方ないかなと思います。 あとこんなこと言うとあれですけど、実際AOは僕のポテンシャルを測れなかったわけで、所詮その程度の精度だということです。 考えてもみてほしいのですが、 文章を書くという行為は、そもそも時間制限を設けて行うパフォーマンスではありません。締切というものは存在していますが、それは少なくとも一週間以上の長期的時間のやりくりであって、文筆というのは3時間という「RRR」の放映時間程度の時間でなんとかすることではないのです。 本来であれば最低でも一週間拘束し1万字の作品を描く、などとすべきであり、たった3200字で測れることなど、たかが知れています。 しかし日芸は東京藝大ほどの豪胆さを持たないので、一週間拘束するなどということができません。 だから試験方法に瑕疵があると僕は考えています。 いや、瑕疵があるは言い過ぎとしても……「頭の回転の速さ」という文章を書く者には(他芸術に比べ)比較的必要のない技能を、なぜか基準にしている奇妙な試験、だと思ってくださいこの総合型選抜のことは。 文章の良さは、断じて頭の回転の速さという陽キャな能力に依るものではないと僕は思います。 文章は頭の回転の速さを求めない代わりに、その深さと奥行きを求めるものであり、陰キャの武器です。 つまりこの試験は受かったらラッキーだが、 落ちても別に、才能は損なわれない。
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