むしろネガティブ功利主義の方が議論は簡単な部分もあって、まずネガティブ功利主義では、「快楽が存在しないことは悪くない」というのは基本的な認識に含まれているので、存在、非存在に分けてテクニカルな議論をしなくてもいい。 また、生殖がその個体への「危害」であるかどうかに関わらず、全体として苦痛の総量なり平均量が増加するなら、その生殖は「間違い」だと主張できるため、非同一性問題や、それに関連するような議論も避けられる。 そして、例え生殖をしないことによる親の不満足を考慮しても、特にヒトが生まれることによる知覚ある動物全体への負の影響は圧倒的に大きいため、原理的には生殖は常に間違いだと言える。 そのため、ネガティブ功利主義者の多くはべネターの非対称性の議論のもっともらしさを認めている。 ただ、ネガティブ功利主義者の一部あるいは多くがアンチナタリズムを支持しないのは、原理的にはそれが正しくとも、帰結主義の観点から機能しないとか、段階的な絶滅に失敗したら多大な苦痛が生じるリスクもありえるということと、ヒトが先に絶滅してしまったら、他の動物の苦しみの問題が残ってしまうため、種にかかわらず無条件に生殖が常に間違いであるとは言えない、ということが理由にある。 なので、まとめると 原理的には(あるいは義務論的な見方では)生殖は常に間違いであるとは示せる(というより、ネガティブ功利主義の基本的な前提の直接的な帰結)が、彼らの帰結主義的な見方を取り入れると、その議論は消極的にしか支持できないという見方にもなりえる。 という感じではないかと思う
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