バキバキの化学史だ…。 とりあえず背景をざっくり整理しておくと、1808年にゲイリュサックが「反応体積比の法則」(気体反応の法則とも)を発表、同じく1808年にドルトンが『化学哲学の新体系』に「原子説」を記述。このふたつは互いに矛盾が起きており、ベルセリウスなどは原子説を否定するという立場で矛盾を退けていた。この対立に関して、1811年にアボガドロが「アボガドロの法則」(同圧力、同温度、同体積の全ての種類の気体には同じ数の分子が含まれる)として知られるものを主張していて、なんかいい感じにこの対立が収束して現代の化学がありますよ~的な話が一般的に言われていること。で、この「アボガドロの法則」では同圧力同温度同体積の全ての種類の気体には同じ数の粒子が含まれているという、いわば「同数仮説」が指摘されている。質問者さんが言っているのは、これと「反応体積比の法則」を組み合わせることで初めてドルトンの原子説に矛盾を突き付けられるという構造なんだから、アボガドロの法則が発表される以前からベルセリウスが原子論を否定できたのは変だ、という話よね。で、調べていると、どうやらベルセリウスは「アボガドロの法則」以前から同数仮説を述べているらしくて…?ってことよね。なるほどね(前提知識が多い!!!) まず事実として、ベルセリウスも同数仮説を知っていたというのは本当っぽい。『分析化学の歴史』(サバドバリー, 1988)p. 201にもベルセリウス自身の著作を引用しながらそう書いてた。あと、ドルトンを擁護しているW.ヘンリーの1815年の教科書 “The Elements of Experimental Chemistry 7th ed”にも、ベルセリウスが同数仮説に基づいてドルトンを批判していると分析している[1]。 じゃあベルセリウスはどのような背景から同数仮説を練り上げたのか。これについては、私の調べた範囲では解説されたものが見つからなかった。ただし文献[2]を読んでみると、アボガドロが同数仮説を支持したのは、カロリック説のとある運用の仕方に基礎づけられているかららしい。カロリック説は19世紀初頭に広く用いられていたので、つまり同数仮説はアボガドロのユニークな理論ではなかったんじゃないか(なのでベルセリウスが同じこと言ってても不思議じゃないんではないか)……というのが私の予想。ちなみに同文献いわく、ドルトンもカロリック説を採用していたところまでは同じだけどその運用の仕方がアボガドロとは違ったため同数仮説を採用する必然性がなかったんだとか。カロリック説も一枚岩じゃないってことかな。 同数仮説は便利で、気体反応における生成物の元素比率の理論的基盤になるし、気体の密度比から原子量を決定する際の理論的基盤にもなる。ベルセリウスには、同数仮説を利用して原子量を高精度で決定していったという業績もある。 同数仮説がアボガドロのユニークな理論じゃなかったらなんで「アボガドロの法則」がこんなに取り上げられるのか?ベルセリウスの法則でもよくね?みたいなことを思ったりするんだけど、おそらくアボガドロの法則の真価は同数仮説と「分子説」をくっつけたことでドルトンの原子説を(現代から見て正しい形で)叩いたことにあるんじゃないかなと思う。ただしこれについては複雑で、そもそもアボガドロは「分子説」なんてことは言っていないとかいう指摘もある(粒子分裂仮説と言うべき。詳細は文献[2])。そういうわけで、アボガドロの法則は結構誤解されているというか雑にしか理解されていないきらいがあるので、詳しくは文献[2]を読んでね!(ちなみに実はベルセリウスも、アボガドロともまた異なる理論的解釈を提出していた。アボガドロは同数仮説を維持するために粒子分裂仮説を付け加えてドルトンに歯向かったけど、ベルセリウスは同数仮説を単体の気体にのみ成立すると部分的に修正してドルトンに歯向かった。この話は文献[3]など) 以上です!バッキバキすぎるよ~~~!!! [1] 東健一『ドルトンの原子説と分圧の法則 化学研究におけるBreakthrough』化学教育, 24 (1976) 327. [2] 大野誠『アヴォガードロは分子概念を提起したか(化学史・常識のウソ)』化学と教育, 35 (1987) 142. [3] 井山弘幸『アボガドロは本当に無視されたのか? 50年間忘れ去られた仮説をめぐって』化学, 41 (1986) 647.
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