
こっちが聞きたいよ!!!と叫びたいところですが、ぐっと堪えて血の涙を流しながら真面目に考察してみましょう( ´༎ຶД༎ຶ`) まず、ここで言う「いい人」とはどんな状態でしょうか? 僕が思うに、要素としては「人畜無害」「常識的」「善良」「協調的」「穏やか」「不快感が少ない」……みたいな感じかな?と思います。 この時点では特に悪いことはありません。 一方で「いい人止まり」になる「いい人」とはどんなものでしょうか? 「(そうであるにも関わらず)恋愛的な魅力に乏しい」「優柔不断」「刺激がない」「意外性がない」「居ても嫌じゃないけど居なくても問題ない」「代替可能」……と言った印象が思い浮かびます。 こうして一覧するとお分かりいただけるかと思うのですが、要は「いい人」であることの特性がそのまま表裏一体の短所として作用してしまったのが「いい人止まり」の状態なのではないか、と推測します_(:3」∠)_ しかしここで指摘しておきたいのは、当然のことながら「いい人」=「いい人止まり」になる人ではない、という事実です。 世の中には「いい人」である特性を武器として、恋愛的な自分の価値を磨いている方もたくさんいらっしゃいます。 そうであるなら、一体何が「いい人」を「いい人止まり」に変容させてしまうのでしょうか。 僕の私見ではありますが、「いい人」であることのモチベーションに「失敗を回避する思考」が絡んでくると「いい人止まり」になる気がします。 もし生来の性格として「いい人」であるなら、これは恋愛においても長所として作用する場面が出てくるはずです。 ところが、例えば幼少の頃などに大人から「怒られないため」の処世術として「いい子」であることを選び、そして怒られることを悪徳として回避し続けてきた結果「いい人」に成長した方は、「いい人」であることの動機が「怒られないため」「失敗しないため」になってしまっていることが考えられます。 こうなると、半ば無意識に「リスクを取らない行動」を取ることが自己の規定として成立しており、それが「優柔不断」や「この人じゃなくても別にいい」という印象に繋がってしまうのかもしれません。 ……はい、一切手心を加えず、僕自身に対しての戒めとして厳粛に述べましょう。 要は「嫌われるのが怖くて自分の性欲が表現できない」とこうなるのです。 怒られたり嫌われたりするのが嫌で、性欲をひた隠しにして「そばにおいても無害な人間」として認識されようとした結果が「いい人止まり」です。 ひとまず僕が明確に語ることができるのは男性側の話……というか僕自身の話だけになるのですが、恋愛の本質的な要素の一つにはかならず性欲が絡んできます。 これは絶対の原則です。 ただし、ここでの性欲とは単なる生殖活動の原動力としての欲望というだけではなく、より広範な概念だと捉えた方がいいかもしれません。 「肉体的に接触したい、快楽が得たい」というものに加えて「男として見られたい、認められたい」「男性としての働きがしたい、役割を果たしたい」というような性別に根ざした欲望全般を「性欲」だとすると、これを満たすためには必然的にリスクを冒した関係性を求めていく必要があります。 性欲は人格のかなり基底部分に属する本能的な衝動なので、文明人たる我々はこれを大っぴらに表現することは悪徳であると考えます。 そこで、誰にでもは見せられないこの欲望をあえて見せるのであれば、それを受け入れてもらえるような関係性を築いていかねばなりません。 そのためには「僕の人に見せられない部分を見せるし、あなたのそういう部分も見たい」という要求を相手に何らかの形で伝えなければ、これを実現することは難しいでしょう(持って生まれたビジュアルがとんでもないセクシーイケメンである場合などは除きます)。 この時に「性欲=汚いもの、見せたら嫌われるもの」という意識が強すぎると、先述のように「いい人止まり」になってしまうムーブを自ら選んでやってしまっている可能性が高くなってきます。 余談ですが、「恋愛」とは「性欲の表現行為を、社会的に合理的で価値ある行為に落とし込んだときに見える側面」だと言うこともできるかもしれません(めちゃくちゃこじらせた表現だな)。 ともかく、何か欲しい物があるなら「僕はこれがほしい!」と言わねばならないのです。 もちろん当然ながら、その意思を表明したとて思い通りにことが運ぶとは限りません。 或いは競争に身を投じ、或いはその競争に敗れ、或いは軽蔑の眼を向けられ、傷付き、のたうち回り、無様に這いつくばって涙することもあるでしょう。 これらはひとえに「リスク」です。 これまで守ってきた自分の価値が揺らぎ、否定される可能性のある行為です。 しかし、この危険を敢えて冒すことで得られる信頼関係は、まさに「恋愛」と呼ぶに相応しいものであるはずです。 総括すると「いい人止まり」になるのは「リスクを冒して性欲を表現することを回避しているから」です。 「いい人止まり」を脱却するには「自分の性欲を認め、これを表現するリスクを負うこと」が必要です。 相手にこちらの欲望を察してもらおうとしてはいけません! これは相手に責任とリスクを押し付ける行為であり、厳密な意味での「いい人」がすることではありません。 「これを言ったらこれまでの関係はもう維持できないかもしれない」「相手を不快にさせてしまうかもしれない」という恐怖をぐっと飲み下し、「それでも自分はあなたと特別な繋がりがほしい」と宣言することができれば、少なくとも「いい人」という楔で止まっていた時間は動き出すはずです。
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