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今話題のチェンソーに限った話ではないですが何故作画出身の方が監督をすると内容が置き去りになって作画スタッフのみが満足するようなアニメが比較的生まれやすいのですか?
こういったケースが失礼ですがクローバーワークスのオリジナル作品でよく見られる気がします
デイヴィッドやボンズは比較的作画も良く内容も尊重されているのですがああいった作品を作るのはやっぱり監督やプロデューサーが現場や会議での意見の吸い上げや作画のパワーバランスをコントロール出来ているからでしょうか

アレな話ですが単に「アニメーターはあくまで作画の専門家でしかない」に尽きると思います。如何に神アニメーターであっても脚本、演出、構成等の才まであるとは限らずそちらの経験値も当然作画より少ない筈なので手探りになり易いんだと思います。「絵が上手いからと言って漫画が描けるとは限らない」みたいなモンですね。 宮崎駿さんや今石洋介さんみたいなタイプが寧ろ珍しい存在と言えます(そんな彼等でもちゃんと経験積み直したらしいですし)。 しかし現代ではネットの普及で絵の評価のされ易さとそれ以外の評価のされにくさがより顕著になってしまったのと作画の人手不足が更に悪化した結果上手いアニメーターが横の繋がり重視で集まる様になり「話題性のある良作画アニメを作るなら神アニメーターを上に置くしかない」という状態になりつつあるんだと思います。後は「次の宮崎駿を生み出したい」という上の思惑もあると思います(最近やたら神作画マンが演出やらコンテデビューしてるのもその一環かと)。 ただ流石にやり過ぎたのか一般のファンでも分かるレベルまで露骨になってきたのでそろそろ何か新たな変化が起こるかも知れませんね。

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