
伝承でのリアルサキュバスについては、ご自身で「サキュバス」でググッてみてください。ググッても出てこない部分について、ぼくの方からご返事します。 サキュバスというのは、ユダヤ教・キリスト教的な存在なんですね。『ゾーハル』という、ユダヤ教の神秘関係の中心的な書籍に記されていることからも、それがはっきりとわかります。つまり、発祥がユダヤ教です。そしてユダヤ教にあったサキュバスの存在が、キリスト教で夢魔として取り込まれることになりました。キリスト教は、ユダヤ教の変異バージョンなのです。 原始キリスト教は性的に厳しいというわけではなかったのですが、少し経つと、キリスト教は性的にどんどん厳しい態度を打ち出していきます。性を、性欲を、快楽を、抑圧していくんですね。 ユダヤ教は砂漠の宗教で、非常に厳しい自然環境で生まれた宗教です。「過酷なサバイバルを要求する厳しい父親」みたいな自然で生まれた宗教です。そのため、その厳しい地で生き抜くための厳しい掟が課されています。性的な掟もその一環でした。 ユダヤ教がイエス・キリストによって変異してキリスト教となった時、性的な規範は当初は厳しくありませんでした。でも、性的にゆるやかだったローマに広がっていく際に、恐らく当時の性的文化へのカウンターとしてユダヤ教的な厳しい性的な規範が復活していったのだろうと思います。そしてローマの衰退と性的な頽廃(ゆるやかな性的規範)とが強力に結び付けられた。そして、ゲルマンの地、ヨーロッパにも広まっていったのだろうと思います。 でも、性的な厳しい規範というのは、「過酷なサバイバルを要求する」ユダヤの地限定のものだったはずなのです。ユダヤの地にアジャストされたものだったはずなのです。つまり、ゲルマンの地にアジャストされたものではなかったはずなのです。ユダヤの地なみに過酷なサバイバルを要求されていたわけではないゲルマンの地には、必要のなかったものだったはずなのです。でも、性的な厳しい規範がない状態を野蛮と捉えて、キリスト教はどんどん駆逐し、厳しい性的規範でゲルマンの規範を上書きしていったのだと思います。 性的に厳しい規範は、セックスを夫婦にのみ限定し、さらにセックスから快楽を追放します。そうやってセックスから切り離されたものの象徴的存在として強く存在感を放ったのが、夢魔、別言、淫魔、すなわち女性の姿のサキュバスと男性の姿のインキュバスだったのだろうと思います。サキュバスもインキュバスも、キリスト教が非難し、追放した「セックスの快楽」の象徴的存在だったということですね。 「サキュバスに挿入すると、氷の洞窟に入るみたいだ」なんて民間伝承で言われているのは、セックスから快楽を切り離すための方策でしょう。サキュバスなんかとセックスして快楽に溺れるな、やつの膣は氷みたいなんだぞ、と脅しているわけです。ポルノ作家のぼくから見ると、ナンセンスです。男性を誘惑しよう、男性から精液を集めようってしているサキュバスが、氷みたいな冷たい膣を持ってどうすんだよって思います。挿入した瞬間にチンポが萎えて射精不能になって終わりです。精液搾取作戦、大失敗。それでどこが夢魔やねんという感じです。なんでこういう矛盾だらけの無茶苦茶になるのかと言うと、「セックスから快楽を切り離そう」って作為があまりに強すぎてあまりに出すぎたからです。作為ありき、作為しかなかったってことですね。それで嘘の方便をでっち上げたから、矛盾だらけになった。 さて。 日本は非常に性的におおらかな社会でした。インドで誕生した仏教は非常に現世否定的だったはずなのですが、日本に来ると、現世肯定的に様変わりします。インドのお坊さんはお酒を飲みませんが、日本の坊主はお酒を飲みます(笑)。 日本は自然環境が豊かで、恐らく自然を「恵み」として受け止められたのだろうと思います。自然、それは過酷なサバイバルを要求する厳しい父親というユダヤ教の世界とは正反対です。自然の恵みがある社会では、現世を肯定する傾向、食を肯定する傾向、そして性を肯定する傾向が強くなります。ユダヤ教のように自然は「過酷なサバイバルを要求する厳しい父親」ではありません。むしろ、恵みをくれる母親的な部分が強く意識されていたのだろうと思います。そういう豊かな世界、恵みの世界では、現世が肯定され、食も性も楽しみごととして肯定されます。キリスト教的世界のようにセックスから快楽が追放されることはなかったのです。なので、恐らくサキュバスのような存在は日本になかったのだろうと思います。 現代の日本でサキュバスは、性的なイニシアティブを終始取りまくる存在として描かれています。日本は、欧米に比べれば男性性と女性性の成熟が未熟な社会ですが――それが悪いこととは思わないけれど――セックスでは男性がイニシアティブを取るように要求されてきました。今でこそベッドでイニシアティブを取る女性が少しずつ増えてきましたが、男性がイニシアティブを取るのがまだ主流でしょう。ベッドでイニシアティブを取り、男らしさを発揮するのは、男性性の低い日本人男性にとっては1つのプレッシャーです。そのプレッシャーを感じる日本人男性にとって、自分から性的イニシアティブを取って優れた性的な技を披露し、絶頂と快楽の世界へ連れていってくれる存在――それが現代日本でのサキュバスになっているのだと思います。
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鏡裕之@『高1ですが異世界で城主はじめました23』、8/1発売さんになんでも質問しよう!
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