「目線」によりますね。 言うまでもなく、「弁1で細々とやってる」、元ツイの文脈で言えば、「弁護士という仕事を、お金にはならなくても、○○という良さがあるので充実感を感じながら、経済的には十分でなくても、行う」(「○○」には「やりがい」とか「自由」とかが入る)という方は、僕を含めた世界の誰からもその生き方を否定されるべきものではなく、それは人生の選択の問題で、「どういう選択を行うか」に良いも悪いも何もないです。 あとこれ、すみません、元ツイですが、「敗北」は、なんか違うな、と、書いた翌日くらいから思っていました。「衰退」ですかね。 そして僕は、1個、これは「僕自身の価値観」として、下記は持っています。 すなわち、○○に何を入れるにせよ、それは経済的な十分性の上にない限り、「全体量」的な意味で言えば、優秀な人を引きつけないです。 「やりがい」や「自由」は大事ですけど、それしかない仕事に、優秀な人は、少なくとも「全体量」的な意味で言えば、来ず、その仕事は衰退すると思っています。 そしてこれって、上の世代に「金にならなくてもやりがい(略)」と言われた場合に反発する、のは、そういうことではないですかね? なので、「目線」として、「この業界」のことを考えるのであれば、「弁1で細々とやってる」弁護士が、一人でも多く、「弁1で経済的にも成功しながら働く」ようになり、その中のさらに一人でも多くが「アソを雇って高額の給料を払いながら働く」ようになるべきだとは思っていますよ。そういう人が増え、この仕事が「優秀な人を全体量的な意味で引きつける仕事」にならないと、この業界は発展しない。 だからといって、一人一人の個人としての「弁1で細々とやってる」弁護士に、「なぜ上記のようにしないの?」とか言う資格が誰にもないのは冒頭の通りで、だから「目線による」のですけどね。 で、別にこれは「弁護士という仕事」に限定された話でもなく、元ツイに書いた例で言えば、例えば、「日本という国」についても同じだとは思っています。 https://twitter.com/tokikawase/status/1478418490734579714 「その一般論は当業界にも妥当するはず」という。
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