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いきなりの長文失礼します!
「最近のアニメは、おま×こを舐めたくなるキャラクターがいない」
とは、かのガ〇ダ〇監督の言(真偽不明)。
この言葉について、わかり始めたMy Revolutionで誰かに伝えたくなったので、
エロスに造詣の深い先生の質問箱にお邪魔した次第です!
まあ、というわけで独断と偏見で紐解いていきたいと思います。

まず最初に「おま×こを舐めたくなる」欲求を強く催させる要素は何か。
私個人として思いついたのは「生き生きとした人間性(内面)」
そして「溢れ出る色気やメス臭さ」(外面)でした。
アニメ1クール12話またはそれ以上の話の中で、多くのイベントやハプニングが起こり、キャラクターが成長し葛藤する。
そこに我々が親近感や愛着を抱き、感情移入してキャラクターが好きになる。
好きになるともっと大きな欲求が生まれる、つまり「おま×こを舐めたくなる」。
ごく簡単な話ですね(?)
私が15年もの間、おま×こを舐めたいと強く思ったキャラクターは紅月カレン。
気が強くじゃじゃ馬な面もあるけれど、強い目的意識がありどんな時も果敢に戦う。
しかし、時折か弱い少女の姿も見せる。
実に可愛らしいヒロインです!
そして何といってもあのピッチリしたパイロットスーツ。
素晴らしいじゃありませんんか!
蒸れていい匂いがしそうというか実際しますし、
無理やりおま×こを舐めてる時に睨みつけてきそうで堪りません!
目を閉じれば眼前にその光景が立体的に想像できます。
多くのファンや絵師がそういう絵を描いているのがその証左でしょう(暴論)。

おっと、話が若干逸れてしまいましたがここから本題です。
特にこの「おま×こを舐めたくなるキャラクターがいない」現象(?)が顕著なのものは、なろう枠でしょうか。
なろうの多くはチートハーレム系で形成されているといっても過言ではなく、
ハーレムなので多くのヒロインが出てくるわけです。
そうなるとテンプレートの性格・属性をそれぞれに分け与えるので、
ひとりひとりの個性が薄くなります(そもそもキャラクターが多すぎ)。
そして薄くなった個性を無理な口調や語尾で膨らませようとするせいで、
まるで記号の寄せ集めのように感じられることが多々ある。
またアニメだと尺の都合上、一斉にあるいは矢継ぎ早に登場して
個の魅力に迫る時間がないので、なおのこと印象が弱くなる傾向アリ。
(脚本家の力量不足の場合もあるが、元の作品のレベルが低すぎて
再構成が難しい可能性があるのでなんとも言い難し)

対してヴィジュアルはそれを補うようにかなり力が入ってます。
ガワだけはいいってヤツです(仏作って魂入れず)。
また多くの場合、そのキャラの個性を担保する意思や行動原理もまた希薄です。
(こういうときにはこうする、こういう時にはこうしないという
性格に基づいているであろう行動パターンが曖昧)
なぜ主人公のことが好きなのか不明で、主人公の言動行動を盲目的に全肯定。
そして彼女たちは主人公に万年発情しています。
最も致命的といえるのが、チート能力を持った主人公が何でもできて
問題をいとも簡単に解決してしまうので、ヒロインたちの成長するイベントがほぼないことでしょう。
そういうヒロインに感情移入なんてできようもありません。
言ってしまえば、作者自身キャラクターの魅力に気づいておらず、書籍化された時のヴィジュアル頼み。
ストーリーの中の行動で魅力を紡ぎ、キャラクターを確立していくという過程を放棄しているように思える。
そのせいで彼女たちは、生き生きとした存在感や立体感がまるでなく、
いわば無機質な「オナホール」になり果てている。
オナホールをベロベロ舐めたくなる人はいませんよね?
「おま×こを舐めたくなるキャラクターがいない」のはこのせいではないかと思うに至りました。
いかがでしょうか。
まあ正直なところ、これだけなろうが持て囃されているということは、
読者がインスタントなオナホキャラを求めていて、
今の時代が毎クール新鮮なオナホをとっかえひっかえする大量消費社会なのかも知れませんね。

すごい、熱量がすごい 言葉下品だけど、その通りだと思うよ、そして最後の評価が畢竟正しいような気がします。 自分はこれはみんな忙しいからかなとか、日本の事情のせいにしてたけど、どっちかというとそうじゃなくて、平等に文化が広がって時間がたった所為なのかもね、って思うようになりました。 果たして、悪いわけじゃないんですけどね、求められるものを作るってのは経済とか関係なしにしても変なことじゃないと思います。が、自分も、あまり文化に頼った作品は深く楽しめないので気持ちはわかります。自分はよく舐めたいとかじゃないけどジャンクフードに例えてました。想像しやすいあの強烈に下を刺激するだけの味が欲しいみたいな、悪いことじゃないですけどね、気持ちはわかります。その代わりっていったらなんですけど、みんなが楽しめる手軽さが大事なんで、100年後に回顧して再び流行るような、名作にはなかなかなりずらいと思いますよ。ちょっと昔の音楽家みたいな、玄人が評価して、玄人に憧れる人が支持して、合わせて2/5くらいの人が騒いだのがきっかけで、あとの1/5から2/5が好評をつけるみたいな流行り方から変化して、今はとりあえず、憧れる人の発信力の方がつよくて、軽躁な支持が流行を引っ張ってるからだと思います。でもそれって、実は玄人の評価なんて、玄人っぽい人が評価することが大事ってだけで、評価の内容には魅力がなかったてことなんですよね。 単純なことで、たぶんよくできた譜面は1000年たっても評価されるけど、その時代の多くの人を楽しませるかはまた別な話みたいな。いい悪いではないんですけどね、ただ、自分と同じ趣向の作品を少なく感じる、寂しさはわかります。よくわかります。あんたの評価は正しい!

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