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回答が遅くなりました。すみません。 罪悪の話を聞いて自己否定と受け取れば、自尊心と両立することはありません。 自尊心とは、自分を価値のあるものととらえる心とされています。 それに対して、罪悪感といった時は、自分を罪深い者ととらえることになるので両立はしません。 真宗では、阿弥陀仏をたのもしく思うことはあっても、自分をたのもしく思うことはありません。仏の慈悲は、自分の罪悪の中に味わうことを通して知らされますが、やはり罪悪が「よいもの」とか「誇らしいもの」と転換するわけではありません。
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