2/7

 ぱやちの先生ごめんなさい。こんなことを思ってしまう私が醜くて仕方がありませんが、正直に相談させてください。
 私は2年弱ぱやちの先生を追っており、詩集も1度だけですが買わせていただきました(手書きのサインありがとうございます)。
 話は変わりますが、私はそこそこの進学校通っており、友達も偏差値60超の人ばかりで、正直学歴厨という人種なんだと思います。
 そして、最近、ぱやちの先生のWikipediaの一件で、ぱやちの先生の出身大学と偏差値を知ってしまい、えも言えぬ感情になりました。それからというもの、昔みたいにぱやちの先生の書く文章を読めなくなってしまいました。明治の文豪のような破天荒さに憧れていたTwitterも、奥に自分が見ていた文学性はただの理想の押し付けなのではないかと、考えてしまいます。
作者で読み方が左右されるのは本質が見えてない証拠ですが、本質が見えていないのは昔と今の私のどっちなのかすらわかりません。どうすれば、また昔みたいにぱやちの先生を好きになれるのでしょうか。この気持ち、どう処理すればいいのでしょうか。

あなたの価値観を尊重して、「別にもう二度と私の文章を読まなくていいし好きになろうとしなくていいよ」と伝えます。今までありがとう。そして、大学受験に失敗しないといいですね。どんな進学校に通っていようとも、それだけで自動的に大学が決まるわけではありません。学歴で人を判断するあなたが、自分が失敗してしまった時にどうか自分の人生まで否定してしまわないようにと願うばかりです。大きなお世話だろうけど。また色々と価値観が変わったりして、私のことが必要になれば、いつでも戻ってきて下さい。そんな日が来ないことを願いますが。(普通に自分の価値観で、幸せに生きていってもらえたらそれが一番なので)

スポンサーリンク

篠宮ぱやちの.comさんになんでも質問しよう!

質問

スタンプ

利用できるスタンプはありません。

スポンサーリンク

質問する

過去に答えた質問

スポンサーリンク