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tweetを拝見して味の素に興味を持ち、早速購入してみました。
(これまでは、だしの素、麺つゆ、コンソメなどで代用)
基本ということで、卵かけご飯に少しずつ混ぜて食べ進めていき、味の変化を体験してみたのですが、あるところから(おそらくかけすぎたため)違和感が強くなりました。
旨味が強く出過ぎた、ということだと思うのですが、旨味とは何なのかあらためてよくわからなくなりました…。
大体、「旨」という主観的と思える字が含まれていることからして、なんか不思議です。逆に、旨味成分が強いものを旨いと呼ぶようになったのでしょうか…。
いずれにせよ、苦い、すっぱい、甘い、しょっぱい、と比べると異質に感じてしまします。
卵かけご飯の例に戻すと、醤油をかけすぎてしょっぱすぎる、は、わかるのですが、味の素をふりかけすぎて、旨すぎる、というのがよくわかりません。
言葉が同じなので翻弄されているだけなのでしょうか。
旨味についての成分的な(客観的な)意味合いはわかるのですが、主観的な表現がわからずすっきりしません!
質問の体をなしておらず申し訳ないのですが、なにかコメントいただけるとうれしいです。

感覚的(主観的)かつ総合的なおいしさを意味する「旨味」と 客観的に(時に数値的に)、塩味や甘味、苦味などと同様、純粋に程味成分の強さを示す「うま味」が 言葉が同じなせいもあってつい混同してしまう、という現象は、質問者さんに限らず広くみられる現象だと思います。 混同を避けるために、前者は漢字で「旨味」、後者はひらがな混じりの「うま味」で表現する、というのは一部ですでに慣例化しています。これはその混同を避けるために、決定的とは言えないけどかなり有効だと思います。 味の素が発明される以前は、うま味の濃度を上げるにも限界があったので、うま味が強い≒旨い、が概ね成立していたのでしょうね。グルタミン酸等の味に例えば「ぐるい」など「旨」と関係ない全くの新語が当てられていたらその後の歴史は少し変わったのかもしれません。 「甘さと辛さとぐるさが程よく調和した味わい」みたいな表現ならもっと客観的になれそうです。 ともあれ、よく言われることですが、塩だって味の素だって程よく入れると「旨」くて、入れすぎると旨くないのは当たり前で、「うま味が強すぎて旨味が台無し」というような表現は日本語として普通に成立するという事です。 僕自身はよく「うま味控えめでおいしい」という表現を使います。 「甘さ控えめでおいしい」「塩味控えめでおいしい」があるのだから、うま味が強すぎない事を評価する軸があってもおかしくないはずなんですが、不思議と自分以外でこういう表現をする人をほとんど見たことがありません。今後もっとこの評価軸が一般的になるといいなと思っています。

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