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親鸞会は自分の心から阿弥陀仏の本願に対する疑いが全く無くなった事を信心と言っていますが、浄土真宗では自分の心を問題にぜず本願を聞いている事を信心と言っています。
宮田さんは自分の心から本願に対する疑いが全く無くなるという現象などあると思われますか。
あるのであればその方が良い思いますが、私は無いと思います。しかし妄想だけで親鸞会を起こし布教を続けるというのも不思議です。
どのように思われますか。

親鸞聖人が「疑心あることなし」といわれる「疑い」は、「自力心」のことを指しています。 その意味で、阿弥陀仏の本願を聞いてあれこれと自力心を挟むことはなくなります。 ただ、親鸞会の「信心」の定義は、実は定まっているようで定まっていないのが現状です。 それについては、ブログに書きますので参照下さい。 「親鸞会を脱会した人(したい人)へ」 https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2022/12/29/153928

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