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質問の量が多いのは、それだけ生徒に情報が行き届いていないって意味もありますよね?

「ありますよね?」といわれれば「はい(当然です)」ですが,気になることを以下に記します.  「量が多い」か?というと同じものもありますし,質問でないものもありますが…. (1)生徒は中学・高校まで大学に入学したら学生と呼びましょう.  実はこの質問もはじめは同僚が自戒をふくめて書いたのかなとも思ったのですが,教員は学生のことを決して生徒とは言わないので思い直した次第. (上下関係があるわけではないですが,中学生や高校生が自分たちのことを「児童」とよんだらどうでしょう?それと同じように大学生も…) (2)「行き届く」とはどういう意味でしょうか?(学生もこっちにおいで) 教職員は「言った」,「書いてある」といいます.(不手際や言ったつもりになっていること,案内のタイミングが遅いことも確かにあります) 学生は「聞いていない」,「わからない」といいます.(聞き漏らしていることもあります) しかし大切なのは,両者のあいだにあって通じることです.  互いの理解を確認しながらやり取りをすることが肝要で,多くの人に通じることでも,一部の人には伝わらないかもしれません.  わからなかったら,自分で調べて,その上で質問をすればよいし,調べ方がわからない人も質問をしながらそれを学ぶでしょう.知り得たことを他の人に伝えてくれるでしょうし,質問を見て質問をした人以外の人にもそのことが伝わるでしょう.両者の間でなんとなくこういう意味だという合意をつくることもあるでしょう. (3)わからないままで構わないこともある,安易にわかりやすさをもとめず,わからないことも場合によっては大切(居直りではなく)かもしれません.  学生の相談についてはどう答えてよいかわからず,自分の力不足を痛感するものもあれば,直接でないと答えられないなとかもっと状況を知りたい(一緒に考えたい)なと感じることもありました.  しかし,回答を通じて,これは連絡していないなというものは(配布資料のミスを除けば…)わずかです.やってみてわかることや数日後に説明があったり,ということも多いはずです.それはそれでかまいません.  皆さんは,言われたことをするのではなく,誰も到達していないところに行くわけで,わからないことに出会ったら,ともに学ぶ仲間と共有したり,対策を考えたりすることを楽しむはずです.それからわからなくても案外なんとかなることも多いですし,できるけれど何故そうなのかがわからないこともあれば,わかりたくないことだってあるでしょう.  謎や知りたいことを抱えたまま生きることも悪くないと考えています.授業でわからないことも,話を聞いてわからなくなることもあるはずです(知っているつもりでいたことが実は違っていた等)  ガイダンスの仕方等々で改めるべき点があることはこのシーズンでもいろいろ考えました.(質問のおかげで.特に今年はFAも持っていないので.)この間右往左往した新入生には申し訳なく思うこともありましたが,新入生が成長して後輩の相談に乗ったり,この点の案内の仕方を(「自分だったらこうする」)…というようにともに変えていくことができればと思うのですがいかがでしょうか.