とても難しい質問ですね。 ①自由、②やりたいこと、③社会から求められること、④経済的なこと、それに⑤健康と⑥家族を幸せにすること、ですかね。この6つは、どれか一つでも欠けていると幸福だと思えないでしょう。 ただ、全部を満足させることはとても難しいし、年齢/人生のステージによって、その重み付けが変わってくると思います。 20代から30代の僕は、②を重視しました。ついで③④かな。40代では②、④、⑥です。中でも自身のマーケットバリューを上げることには、かなり腐心しました。犠牲にしたのは①と⑤ですね。 仕事が終わるのは午後12時から午前2時ぐらい、午前3時からミーティングが始まることも珍しくないという生活を続けたのですから、もうむちゃくちゃです。おかげで普通のサラリーマンの何倍、最後には10倍以上の収入を得ましたが、取り返しのつかないレベルで、⑤を傷つけてしまいました。 もう一度人生をやり直せるなら、僕は当時の自分に「いい加減にしとけよ」と忠告したいです。 今の僕は⑤、⑥、それに①を重視しています。それを損なわないレベルで、②~④を得られればいいや、というのが60代を迎えた僕のプライオリティ付けです。 健康を損ない48歳で会社を辞めてからは、「若隠居だ」と自分で思うようにし、③とか④は、できる範囲(儲かったら、自分が支援したいことに寄付をするなど)で還元しているぐらいです。 大学に非常勤で勤務するのも、金銭的にはまったく面白みのない仕事ですので、③の感覚を少しでも得たいという気持ちを満足させたいから、ということが大きいと思います。 こうした僕の選択が、正解だというつもりはまったくありません。あくまで僕はそう選択したという一例に過ぎません。難しいですが、各人が人生の選択の局面において、何度も①~⑥のどれを重視するのかを選ぶしかないです。 質問者さんは今②と③を得られているが、④、それと①を犠牲にされているのでしょう。この選択をどうするのかは、ご自身でじっくり考えて選ぶしかないと思います。ただ、あえて僕なりの考えを述べれば、④を犠牲にしすぎると、長くは続けられないし、あとで後悔することも多い、ということです。 大学病院の医局で仕事をされているのですかね。これは尊い仕事ですし、社会からも求められています。でも、ある日ポッキリ折れてしまわないか、心配です。すでに迷われているということは、その前兆だと思います。 友人の医師たちと話していても、大学病院の医局の仕事は奉公という感覚が強く、教授になったひと握りの人を除くと、その多くが開業したり、ペイのいい病院での勤務に移っています。開業しながら週に1~2回、大学病院の仕事に携わっていた人がけっこういますね。 これもそうすべきだと言うつもりはありません。本当にこれは「人生の選択」として。自分で選んで行くしかないのです。 僕の「自由」という表現に憧れたということですが、これは長年、自由を損ないながら生きてきた僕が最後に得た、ご褒美のようなもの、と僕は思っています。だから失いたくないのです。 非常勤で教員を受けるにあたって注意したことは、ですから、まずは自由を失わないレベルで、ということですね。講義資料を準備する時間を含めて、自分に無理ない範囲で引き受ける、ということです。 ついで、社会から求められるレベルの講義ができるか、と自問自答しました。大学ではルーティンのように講義をされる先生も少なくありませんが、それをするぐらいだったら、引き受ける意味はないな、と思っています(幸い、僕の講義の学生の満足度は悪くないようです( ^ω^)) 加えて、今の担当分野に関わる、社会的な活動ですね(対外的活動)。これも比較的積極的にやっています。大学側が、かなり好き勝手にやっている僕を手放さないでいるのは、この部分が大きいと思っています。 特任教授の職に固執するつもりは全くありません。収入面で言えば、投資で得る収入(これは年によって大きく変動します)の20分の一以下です。常任の教授になっても、収入は倍になる程度です。③を満たし、①を守れるか、ということに配慮しながら、今の仕事を引き受けました。 これでお答えになったでしょうか?
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