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阿弥陀仏に救われた方は「自らの行いを省み、慚愧と歓喜を感じさせていただく」「正しくない生き方をしていたなあと少しづつでも改めていく」とされます
未信の身から聞かせていただくと常に自分の正しさが問われているようでとても苦しく大変な生き方なのではないかと思います
本願の身になった上でそのような思いが実感できることはありましたでしょうか また、未信の時そのようなことは特に考えていませんでしたか

自分を省みることはあります。 しかし、それはお尋ねにあるような「正しさを問われる」ような、いわゆる詰められるような結果ではありません。 自分は大したものではなく、そんな取るに足らないものを救う本願だということです。 以前に、救われたら苦しいのではと考えたかということですが、私がいた環境では救われたという人がほぼいなかったので、そこまで考えが回りませんでした。