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感想読ませていただきました。
私個人は造り手としては文劇3の部分に好きなところがあるので基本は肯定派ですが、グラタンさんのを読んで持っていた違和感というものが形になったようで随分とスッキリしました。
私は戦争詩歌に詳しいわけではありませんが、事前に月に吠えらんねえを読んでいたので、白秋のその時代に作った詩歌を否定しているという態度に違和感を覚えていました。
月吠えにおいて、彼は戦争詩歌の存在として生まれていて、戦争の終わりを知ることなく亡くなっているのでその詩歌が生まれる事を肯定しています。そして詩歌が生まれた源として日本と言う存在がいて、それを愛することと似たようなことなんじゃないかという問いかけがあり、私は戦争詩歌もまた、そういう気持ちもあったという事を思いました。
そして私自身も文アルから本人に興味を持って調べることが多く、その中で戦争を支援する為の作品も発表しています。幸か不幸か彼自身は社会そのものを見るのが苦手で、戦争の話などはあまりせず、また世代的に共産主義、社会主義に染まりきれずしかし当時の日本を賛歌できるほど若くはなかったという人なので戦争の存在に関してはかなり疎ましく思っています。また性格的にも日本のために動くことはなかったある意味自己中心的な人でした。しかし、それでも土地の人々の力を信じる、日本の力を信じる随筆を雑誌に寄稿していました。
彼の作品は戦争的な資料として使われることはなく、またその舞台にも上がらない、そういう作品ばかりです。また、早くに亡くなったのでその評価を考える前に亡くなっているので彼自身はどうと思っているのかもう聞くことは出来ません。
しかし書いていた事は事実で、それを否定することもまた、肯定しきることも私は出来ません。
月吠えで読んだ時に感じた戦争詩歌の多面性というものがあるからです。彼もまた、信じていたという一人だと思っているからです。
あのメンバーの中に果たして戦争の中で起きた文壇の変化を受けなかった人はいたのでしょうか?
あの中の太宰もそのような作品を生み出していなかったのでしょうか?
私は今回見たメンバーの全ては知りませんが、世の中のために作品を作ることの何が行けないのでしょうか。戦争詩歌だから、そのような思想の中で作られた作品だから罪があるのでしょうか。
そういう背景があるにも関わらず全てを一元化して、統一した思想というものを私は感じました。
個人的にこのような極端な立場を指し示すことはとても作品としては強すぎると思います。
あれらの作品の中の事情は複雑で一概に否定することはできませんし、そのような国を否定するにはこの世はあまりにもかけ離れているますね。
あの作品の太宰は私の中では、背景にいる人間によって調整された個体として認識しています。
だって彼もまた、戦中に作品を描いた人なのですから、その作品を切り捨てるような事を言いそうな個体なぞ、意図が入っているとしか見えませんでした。
戦争の中で生み出される作品と、今の時代に生まれる作品は似ているようで全く違います。それは歴史を振り返る上で忘れてはいけないことであり、当時を知らない私たちがその背景を使う事はそれの善悪を私たちでは決めてはいけないといことです。私たちとその時は違うのです。そして多分文アルの人達がそれを全てとしないことを願っています。
 私はその態度が全てでない、そうでないと文アルの多くのキャラクターの持っていた作品が失われることになります。作品があったこと、それが人を殺したこと、生かしたこと、悲しみを、喜びを、失わせることにほかなりません。特攻した人が悪なのか、善なのか、それは複数の側面を孕み、全てを決めることは出来ないということ。だからこそ、作品を消すような、そんなことはしないと、そう思っていたいです。
たからこそあれが全てだと言わないで欲しかった。作品を、作者の一部を殺すことなのですから。そしてそれをした人の記憶を、その人そのものを殺さないで欲しい。
そう思いました。
長文で論点が大変ズレて言った気がしますが、グラタンさんの話はすごく良い感想だと思いました。どうしても合わない部分があってしかりで、私はそれがあまり辛く感じない人間でした。それは入り込む程の人を推している訳では無いので当時は感激しました。しかし好きな人に知るにつれ、その人の関係者があさま山荘事件に関わっていて、それ考える時に全てを肯定することも否定することも良くはない、あらゆるものは多様な側面を持っているということを深く刻み込ました。
やはり論点がズレているかもしれません。日本語もおかしいかもしれません。けれどもあなたの感想が好きです。私の稚拙で言葉にならないものを言葉にしてくれたようなそんな文章でした。それだけで少し救われました。私の中の疑いが綺麗に形になりました。
それだけ好きなのです。
ありがとうございました。

文劇3の感想を書いて以来、様々な方から「月吠え」を勧められて興味が湧いております。ご意見ありがとうございました。 その、そこまで熱い言葉で告白をされるのは、想定していなくて。興奮すると共に恥ずかしくもあります。自分は字書きではないのですが、「あなたの書いた文章が好きだ」と言われるのってこんなにも嬉しいものなのですね。感想をネットの海に流した以上、罵りや誹りを受ける覚悟でいた分余計にそう思うのです。 逆においらもあなたの言葉に救われたのかもしれません。ちょっとだけ。まぁ長い文章を書くと論点ズレてしまうのはよくある事なので、お互い様ということにしましょう。 いくら北原白秋が戦時中に自分の作品や戦争について述べたところで、それは戦時中の人間の話でしかありません(勿論戦時中から嫌だったのであれば、戦後もそう思うかもしれないのですが)。北原白秋は戦後の人間ではない以上、文劇3の彼の口から語られるのは脚本家の言葉でしかないと自分は考えています。 文アルは現代人が近代の作家の作品を噛み砕き、キャラクター化してお出しするのでどうしても「現代人の視点」という縛りからは逃れられないのは分かっています。ただ、それでも「この作品を作り、あの時代を生きた人ならそう考えるだろうな」と自然に思えるようなストーリーを作っていたように思います。最近だと文學界イベントでもその辺が描かれていましたね。北村透谷にとって彼の言葉を残した島崎の存在が己を構成する全てであってもおかしくないし、その時代の島崎を一番良く知る人物ではあるでしょう。ただし、北村の死んだ後の島崎を北村は知るわけがないのは事実なわけで。 文劇3のキタハラは、転生後に戦後の知識を学んでいたかもしれません。ただ、戦後語られる戦争はキタハラの中の戦争とは少し違うものであるはずです。どんなに知識を得たところで、彼は戦後を生で体験していないから…。 作品が読者を救う一方で作家を作品(+世間?)が追い詰める、という側面を文アルはよく描いている印象があります。ただ逆に作品で読者が傷ついたり、作家が作品を追い詰めるのもまた文学の一つの在り方です。文学を守り、愛したいのであればそこからも目を背けずにいるべきだと自分は考えています。文劇3で私が感じた違和感は大体そこが源にあります。 そしてそれを否定もせず肯定もせず、そういう事実が過去にあったのだと受け入れるのが現代人の使命だと思います。そりゃ戦争で国や文学を守るために統制だの弾圧だのしなければならない"異常事態"なんて、現代人である自分には耐えられない。だからこそ、戦争が今後無いようにしなきゃならないという事には賛成です。あんな感想で当時の政府を若干庇う事書いてますが、自分は戦争屋とか政治的に過激な思想を持つとかじゃないのです。あの時代はそうするしかなかった。でも今は違う。かといって過去を責めるつもりもない。戦争によって生まれた作品の存在にケチつけるつもりもない……。 それに、何度も書きましたが、そういう戦争詩歌を読んで励まされた人はいたはずです。愛国心を煽る作品を読んで純粋に愛国心が芽生えたのなら、それはその人の勝手です。現代人が戦争詩歌を批判するのもまたその人の勝手です。 ただ、その批判をあろうことか北原白秋のキャラクターがする事が許せないのです。 感想の本文でも少し触れましたが、太宰治も国に求められて作品を書きました。彼が転生した時に戦時中の記憶が抜けているとしか思えない立ち振る舞いをしていましたが、キタハラがあぁいう描かれ方をしながらダザイが道化のようにあったのも何というかフェアじゃないなぁとも感じます。よほどダザイを悪に立ち向かう主人公に仕立て上げたかったのでしょう。正直自分にとっては反吐が出ます。 「元々北原白秋に憧れていたけど戦争が始まる前に死んだ」り、「作家として活動し始めたのは戦後になってからだった」りした文豪が主人公ならば、多少話の筋は通っていたと思います。戦後でしか活躍できてない作家が文豪たりえるかは置いといて。まるで戦時中の事を無かったかのように忘れ、(黒幕にそそのかされたとはいえ)芥川先生と自分の作品だけ残ればいいなんて考えたダザイは完全に道化でしかなかった。それもまた自分は見ていて悲しかったですね。脚本家の都合で道化にされるのは、元ネタとなる人物が存在している分、残酷です。言い方が酷いですが現代人の都合で洗脳された推しなんて、自分だったら嫌ですね。まぁ、戦争に利用された文学を否定するなら自分の推しの作品なんて、その全てが否定されてしまうのですが!そこはどうお考えになっているのでしょう脚本家さん! と個人的な怒りを吐き捨てていますが、文劇3が文学について一側面しか取り上げてないことへの危険性について危惧もしています。戦争文学に対する意見は人それぞれですが、戦時中の言論弾圧とコロナ禍の自粛を一緒くたにして批判するのは間違っていると思います。守秘義務があったり(他人の)著作権が切れていなかったりする作品や情報を勝手に公開した事に対して、その公開の中止を命令とする事は言論弾圧ではなくて表現を守る行為です。その辺の境目をハッキリさせないままお出しするのは、今のご時世だと危険な博打でしょう。製作側が「素敵なアルケミスト(文劇3に賛同するユーザー)」に「共に溜飲を下げましょう」と呼びかけている以上は。作り手が伝えたい事を表現するために文アルというゲームをダシにしたようにしか見えないのです。 でも、コロナ禍で苦しんでる文アルユーザーの気持ちを大切にするのは良い事だと思いますよ。強烈な思想を持つ個(作品)に自分の感情を乗せるのは、気持ちがいいですからね。彼らの心は文劇3スタッフが守ってくださることでしょう。 とにかく、です。あなたが作る側として文劇3に賛成しつつも、こうしておいらの感想を愛してくださるのは本当に嬉しかったです。自分はこの通り「素敵じゃないアルケミスト」ですが、文アルと仲良く付き合っていこうと思います。 ところで徳富蘇峰ニキの実装マダー?

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