6/12

あくまでも個人的な傍観の果ての所感です。

まず、アイヌの名前 / 和名の是非については、「歴史」や「現在」を知った上で敬意を払って使う、無意識の蔑視や内在する加虐性について、書く側も読む側も意識しながら読むのが良いと思いました。1人目のアイヌの方のツイートを見ても全面禁止というより、和名を無邪気に使いながら歴史には目もくれない創作者・読み手に対する「一回立ち止まって考えてみませんか」というような黄色信号に感じました。

作品そのものの是非に関しては、正直なところ「無法・無秩序の作品も存在するべき」という自論を持っております。今回のツイッター上の議論の中には、作品の展開や結末に納得がいかない・キャラの処遇が気に食わない・作者への誹謗中傷(人に対して持つべき敬意の喪失)などから「作品の存在」の否定に帰結する論も度々見かけました。議論が白熱すると原点の否定まで戻ってしまうことはありますが、「出版社や管轄が謝罪・作品を取り下げ」という行為は解決法ではないですし、アイヌを取り巻く現状や歴史を知ったのも漫画の影響が大きいため、作品自体が悪であるとは思いません。

それよりも、ゴールデンカムイを読んだうえで、それが内包する諸問題を考えていくという、一つの門としての機能はあると思います。いくら漫画自体が万人の思い描くストーリーを展開したとしても、生身の受け手が考えないことには差別問題も和名問題も始まらないと思います。

和名に戻りますが、「名前」というアイデンティティの根幹に近しいような事象のため、絶対的な正解があるとは思いません。しかし、アイヌの名前の歴史が和名の歴史に上書きされていくのは止めなければいけないという思いでいます。

ご意見ありがとうございます。 私も、一番初めに声を上げた方と、同じ立ち位置です。一度立ち止まって考えてみる、そこから先は、創作者の自由であっても、良い。ただこの問題は非常に複雑なため、滲み出る差別意識を自分自身で認識することができない方が非常に多かったというのがことの深刻さを深めている気がします。 「出版社に対する作品の取り下げ要求」という意見はこちらまで届いていないのですが、「あらゆる差別に反対します」と一言でも表明したほうが良いのではないか、という意見は目にしました。これはファンダムの中から、ヘイトクライムが発生したことへの危惧であったのかと思います。  またひとりひとりが最善を尽くそうとするとき、その判断を過剰に攻撃する、結局は自分の思い通りに他人を動かそうという支配欲の矛先を向けてしまうというのも、大変よくない風潮であると感じています。 「生身の受け手が考える」これは非常に重要だと思います。ご意見、ありがとうございました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク