10/31

 2024-10-30のエントリーで、
『「帰せよ」と「命じる」仰せを聞いて、阿弥陀仏に帰命するのを、弥陀をたのむと言われます。』
と教えていただきましたが、そうすると、
「帰命とは何か。どうしたらたのめるのか。」
などと考えてしまいます。
 しかしこれが先生のよくいわれる
「南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞く」
ということでしょうか?
 要するに南無阿弥陀仏ととなえ、それをきくだけということが「帰命する・たのむ」ということになるのでしょうか?

南無阿弥陀仏を称え、聞くだけです。 阿弥陀仏の救いには、「念仏を称え聞く」の「その先」はありません。 それを私を助ける法と聞いて疑いないことを信心と言われます。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク