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福井座談会2023.09.10、35分あたりで、
『これが本当に疑い晴れたならば、わかったことをアテにしないはずなんです。わかったという自分の思いや心をアテにしだすと、これは自力なんです。』
と言われています。

自分が信心をいただいたか否かは、結局のところその体験の有無だと思いますが、上記のご発言の意味をもう少し詳しく教えてください。

信心を獲たか獲ていないかの判定基準を、「自分の分かった」「自分の思い」を用いないということです。 南無阿弥陀仏を本願招喚の勅命と聞いている状態の上で、「聞いている私の心」を見て「私は聞いているか聞いていないか」を判断しないということです。そういう判断を持ち出さなくてもよくなった状態です。

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