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自分の心に疑心がなくなったかどうかにこだわる人も出てくるというご指摘はごもっともだと思います。 本願を聞いて疑心がないというのは、縮めて書けば本願を聞いているということですが、親鸞聖人が「義心あることなし」「疑うこころのなきなり」と書かれているのでそのように表現した方が良いと私は思っています。 どのように表現するかは人によっていろいろあるとは思いますので、これを書かれた方の表現でもよいと思います。
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