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別に目指しているのではありませんが純粋に興味があるので質問いたします。
先生のように文系で大学の教授/准教授になるのはどれくらいの倍率なのでしょうか。博士号を取得すれば、いずれは就職できるというわけではなさそうなので気になります。
また先生ご自身はなぜ大学に就職できたとお考えでしょうか?他人よりもここが違った/強みがあったなどあれば教えてください。
ただ興味本位なのでお答えいただかなくても大丈夫です。

こういう質問は以前もお答えした気がしますが、なかなか難しいものです(ぜひ他の本学の先生方にもお聞きしてみてください……と責任逃れをしてみる)。以下、一般論でお答えします。 倍率ですが、率直にいってわかりません。 たとえば本学が「民俗学・地域文化論」担当教員を募集したとき(2018年4月採用の例)、私を含め何人の応募があったのか、私自身は聞いたことがありません。恐らく他の先生方もご自身の採用時の倍率を知っておられる先生はほとんどおられないと思います。 そうしたことを前提に、以下続けますが、そもそも大学専任教員(講師・准教授・教授)および特命助教の公募については、本学はかなりガチで行っていますが(「ほかの大学は?」と聞かれてもわからないので聞かないでください)、かなり「めぐり合わせ」に左右されるように感じます。 まず、自分の専門分野にあたる公募があるかどうか、ですね。大学教員の公募情報はJrec-Inなどのサイトで確認できますが、年度によって自分の専門分野の職が幾つかの大学で公募されているときもあれば、全国的に見ても一切ない、というときもあります(民俗学とか中世国文学とかは、ない年の方が多い気もします)。もちろん、いまこの分野は売り手市場でめちゃくちゃ公募がある、という分野も存在はします。稀ですが。こればかりは社会的な需要の問題もあるので、なんともいえません。 次に住居・通勤の問題です。たとえば結婚していて夫婦共働きで子どもも小学校や中学校、高校に通っている、とか親や親族の介護をしている、持病があって専門的な治療を受け続けねばならない(そういう治療ができる医療機関が近くにないと困る)とかいったケースの場合は、就職できる地域が必然的に限られてしまいます。逆に独り身だったり、家族の理解があって全国どこでも行ける、となったら職を得る確率は自然と上がります。 そして、やはり求める人材像とのマッチングです。たとえば〇〇分野の研究者を求めている、というときでも、+αで何かを求められているケースもあります(例として専門分野の研究をしていて、かつ「〇〇が出来ることが望ましい」、みたいな文言が公募書類に付加されているようなケースですね)。 こうしたとき、研究業績が大変優れていても、+αをそこまで満たしていない人と、研究業績はそこそこではあるものの、+αの要素はきっちり満たしている人とでは、後者の方が良いのではないか、という議論になる可能性もあります(もちろん「いや、この人の業績は特別にすごいので、こっちの人を採用すべきだ」となる場合もあり得るでしょうが)。で、その+αというのが、大学によって、あるいは社会情勢によってかなり違ってくるわけです。 つまり、公募の条件を自分は満たしているのかどうか、というのがまず第一関門で、そこをクリアした人が書類を出し、さらに面接などの試験に進むわけです。そうなってくると、単純な倍率では語れないことがわかります。 2点目。私がなぜ就職できたのか? ですが、それを知りたいのは間違いなく私自身です。 少し昔話をします。 私が学部4回生のころ、K先生という方が新入生を前にいろいろお話してくださる機会がありました(私は上級生の立場でお手伝いをするようなことをしていました)。その際、研究者になりたいという新入生が「K先生はどうして大学教員になれたと自己分析されていますか?」と発言しました。するとK先生は間髪入れず「運です!」と断言されました。会場はどっと沸いたのですが、私自身は「茶化さず、もっとまじめに答えたら良いのに……」と思ったものです(なお、K先生はその後にいろいろ仰ってはおられたのですが……忘れてしまいました)。 で、いざ自分がなぜ本学に採用されたのか、と問われると、ついつい「運です」と言いたくなります。というか、運の要素もかなり強いのです。上記のように、そもそも公募条件をクリアできている、というのが奇跡的なめぐりあわせでもあるので。 そのうえで、私自身が勝手に推察するならば、大学院生をしながら高校の非常勤講師として5年間、週に50分授業を20コマ程度受け持っていたのが大きかったかな、と思っています。そこで曲りなりにも誰かに「教える」という経験が出来たので。 あと、いろんな分野に手を出したのもかえってプラスに働いた気もします(専門分野を疎かにしている、としてマイナスに働くことも多々あるのですが、なんか色々出来るのでは? と思われた可能性も0ではないので)。 とはいえ、これは私の勝手な推察で、全然違う理由で採用されたのかもしれません。ただ、それがわからないので、やはり「運です」と言いたくなってしまいます。

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