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・「映画のような娯楽に金を使うことは〜」の質問をした者です。明日ご回答頂けるということで、ありがとうございます。以前質問をさせて頂いた際は、だらだらした文章で書いてしまったかと思いますので(公開されるのが恥ずかしいです)、少しまとめて再投稿いたします。

・「人は可能な限りベジタリアンないしヴィーガンになるべきだ」という規範的な主張を表明する人は、その主張に説得性を持たせるためには、当然その人自身がヴィーガンであることが要求されるかと思います。ヴィーガンになる目的は、むろんヴィーガンになることではなく、たとえば苦痛や主観的経験をもつ存在の利益を尊重することだったりしますよね。すると、その人の主張に説得力をもたせるためにはさらに、娯楽に金を使うのではなく寄付をするといった実践を生活のほかのあらゆる場面においても行っている必要があるのではないか、また、そうした実践を現実に行っている/行うことができる人というのはほとんどいないのではないか、と思ったということです。

・ただ、こうしたことを感じたのは、ネット上でかなりラディカルな主張をされているヴィーガンの方に対してで、セミベジタリアンになることを肯定的に評価されるような立場をとられている方に対してはこういうことは思いません。また、政治的主張をされていないが、実践されている方についてもむろん文句はありません。

・苗野はあれこれで金を浪費したりしているのではないか、という意図は微塵もなく、むしろこういう問いというのは倫理学的にどう考えられるのだろうかという一般的な関心で質問致しております。ラディカルな主張をされている方についても、べつに怒っているわけではありません。

以上です。よろしくお願いします。Twitter再開されて嬉しいです!

ブログにて回答致します。

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