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御一代記聞書76に、
『「今御をしへ候人をいふべし。鍛冶・番匠などに物を教ふるに物を出すものなり。一大事のことなり。何ぞ物を参らせよ、言ふべき」と仰せられ候時、順誓「なかなか何たるものなりとも、進上致すべき」と申され候。』
とありますが、これは蓮如上人が順誓に何らかの見返りを要求されているのでしょうか?
となると何かを進上しないと救われないということになるのでしょうか?

ここは蓮如上人と順誓の関係性から言って、今から大事なことをいうぞと言う前に、少し冗談を入れてその場を柔らかくして言われたものです。 実際、その後順誓が蓮如上人に何かを渡したという既述はなく 「此の事を教ふる人は阿弥陀如来にて候(以下略)」とされています。 御一代記聞書の内容については、またブログに書きます。

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