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ケン・ローチ監督の「家族を想うとき」「わたしは、ダニエル・ブレイク」の感想を聞かせてください。
舞台はイギリスですが、まんま今の日本だと思います。

この監督は知らなかったのですが、「家族を想う時」の方を見ました。 私も外資のバックヤードで仕事してましたから、グローバル企業の労働者がどれだけエゲツナイ状況に置かれているか、ということはよく知っています。 その上で言うのですが、この作風は嫌いです。 一番酷い現状の部分を集めてきてパッチワークにしていて、「救い」の余地がないように”人工的に”敷き詰めたという印象がします。 「どうだ、こんな酷い世の中の状況があるんだぞ、お前ら知らないだろう」という目線”のみ”しか感じない。 現実世界には、どのような過酷な状況でも、なんらかの”救い”があるものです。 深海の底の底の方に、辛うじて届くような光の糸を、目を凝らして見つけ出し、手繰り寄せ、そして這い上がる。 そういうことが可能なのが人生です。 ただ、地獄の底に塩漬け…。 そういう様子をこれでもかと見せ続けて、登場人物を地獄の沼の底に磔にして終わる。 そういう映画を”芸術”と呼びたくありません。 生活相に現れる地獄は、社会構造という「上部構造」の変化や問題の反映です。 その部分に目を配りつつ、目の前で起きていることに、個々に闘うほかない。 私たちは、Amazon配達員に一線を超えるような配達の仕方をされたら、彼らの労働環境の劣悪さは別にして、抗議しなくてはならない。それは我々が引き受けるべき戦いです。 (私の場合は配達員とAmazon本社にそれぞれ内容の違うクレームを入れました) 同様に、労働者が劣悪で異常な労働環境に置かれてるならば、労働者が戦うほかない。 配達員が、介護者が、それぞれの場所でそれぞれの戦いを引き受けるのです。それが人生です。 私には、この映画の登場人物が、状況のおかしさに抗ったり戦ったりしているように見えなかった。 両親は「やるしかない」というところに囚われている。 借金など、破産申請したらよろしい。 この映画監督は、そのような逃げ道すら、登場人物のために最後まで作らなかった。 現実には「逃げ道」は必ずあります。 あんな血まみれの状態で 配達したら、途中で撮影されてSNSにも載るし、会社は糾弾されます。それが「救い」です。 リアリティです。 そこまできっちり描き切るべきです。 その意味で、この映画は、負の方向の「ファンタジー」だし、ドキュメンタリーとしても失敗しています。 二度とこの監督の映画を見ることはないと思います。

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