質問者様の質問を読んでいて、「アイヌルーツの人の和名」と「アシリパさんの和名」は文脈が違う、安易に使用することが批判されている、文脈を理解した上で使用する件には、立ち入らないと何度も伝えているにも関わらず、ここまで伝わらないことに、驚くとともにこういった思い込みをされる方が、これから現れる可能性も少なからずあるのではと感じました。 批判は免れない、という言い方が、「きつい」とおっしゃりますが、このファンダムが昨年同様の問題提起をされた際、声を上げた個人を「部外者」として無視したことをご存知でしょうか。どのように発言すれば、無視されることもなく、言い方がきついと批判されることもなく、ファンダムに問題提起ができるのか、非常に悩ましい問題です。 「倫理上好ましくない言論や表現が、公の場において社会的な批判を受けることは、免れないのである。」とは、この問題提起を行った個人に対して「所詮は個人のお気持ち」であるとか、「(誹謗中傷を批判した人たちに対して)ファンネル」といった発言が見られ、事態を矮小化し、かつてのように収束させようとする動きがあったためです。 この文脈を知らない方には少しきつく映るのかもしれません。また冒頭の説明も足りていないと感じますので、記事としてまとまりをもたせた文章に変えていきたいと思います。 そして、論考を出してからすぐ、「アイヌルーツを持つ日本語名を使う方」の意見があることをご指摘いただき、注4「*4:明治38年(旅順攻防戦)前後を生きた「アシㇼパ」の「戸籍上の名前」と現代に生きるアイヌルーツの人々の名前が異なる文脈を持つ可能性を留意しておく。本文は「アイヌ和名」ではなく、「アシㇼパの和名」についての論考である。現実を生きる各々に個人的な文脈があることは、全く否定されるべきではない。それぞれが愛着を持った名乗りを得て生きていけることを願う。」を追記しました。 ですが、この文章を「アイヌルーツの和名を使用する方」が読んだとき、どのように捉えるかということの詳細までは、正直、私にはわかりません。今現在も、彼らに対して執拗な攻撃が続いており、連絡は頻繁につかない状況ですので、今後、意見を伺う機会があれば、少しずつ見直していこうと思います。 そして、あなたの創作物に関しては、あなた自身の言葉で説明を尽くし、読者あるいは閲覧者に納得していただければ良いと思います。その際に過度な誹謗中傷等を受けた場合は、その主張の妥当性の有無より、まず先に、あなたの心をお守りください。それから問題や批判をゆっくり吟味し、考えていかれることが重要かと思います。 ご意見、ご質問ありがとうございました。
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