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2023-08-11のエントリーで、
『聴聞するときは、「南無阿弥陀仏のいわれ」を聞くわけですが、「南無阿弥陀仏」を忘れて「いわれ」だけを理解しようとはしないでください。私を救ってくださるのは「いわれ」ではなく、本願招喚の勅命です。』
と教えていただきましたが、これは喩えると、薬(南無阿弥陀仏)と効能書き(いわれ)のような関係でしょうか?

また、
『「南無阿弥陀仏」を忘れて』
というのは、
「称名念仏を忘れるな」
ということでしょうか?
であれば、称名正因の異安心に取られかねないような気がするのですが····

お尋ねのように、薬と効能書きのような関係になります。 もう一つは、「称名念仏を忘れるな」ということでよいです。 称名正因の異安心とは、正確には「私が称名するという私の行為(具体的には口を動かす事)が往生の業である」という間違いです。 称名念仏そのものは私の行ではなく仏様の働きそのものであるという意味で使われますので

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