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「南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞く」とは、喩えていえば音楽を音楽として聞くようなものです。 南無阿弥陀仏の謂れを思いだしながら称えるのでは、自分の記憶や理解というものを一端経由して聞いていることになります。これは、前述の音楽に喩えると、音楽を聴きながら「この音階は○○だ」「ここのコード進行はこうなっているからより感動的に聞こえるのだ」と言うようなことを考えながら聞くようなものです。 音楽による感動は、音楽によるものであって、解説によるものではありません。それと似たようなもので、南無阿弥陀仏の救いは南無阿弥陀仏によってなされるもので、南無阿弥陀仏の解説によってなされるものではありません。 思い込まないようにするというのも、また聞き方を問題にしている状態です。南無阿弥陀仏はどう聞いても南無阿弥陀仏ですから、南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞いて下さい。
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