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真面目な質問なのですが、推薦入試や一般入試の複数日程など多くの入試方式があると思うのですが、それによって入学者の学力層が幅広くなってしまわないのですか?周りの人を見て明らかに学力差があると感じて質問させていただきました。

まじめな質問ありがとうございます。 まさにソコが狙いなのです。多様性(=いろんなヤツがいる)は国立大学や他の私立大学にない立命館のストロングポイントの一つです。 せっかく立命館に入ったのですから、他者を安直に切り捨てるのではなく、立命館らしい多様性にどっぷり浸かってみてさまざまな考え方、さまざまな文化や考え方に触れてよき未来を生み出せる人材になることをおすすめします。 立命館は多様な価値観を持つことを大事にしてきました。第二次世界大戦の全体主義的な流れに迎合し、学生を戦場に送り込むことを止められなかった。その痛苦を元にさまざまな考え方があることを尊重し、相互に理解したり、理解できないまでも「違い」を認めて、お互いを尊重することを大事にしてきました。 それが多様性の重視です。だから入学試験の方式も、学力をはかるも一般入試をメインとしながらも、スポーツ推薦、文化芸術、AO、附属校、帰国子女、留学生入試と多様な人に入学してもらおうと多様な入試政策をとっています。お金も手間もかけて全国各地で入試を実施するのも、いろんな地方からバラエティに富んだ人たちに集まってもらって色々な文化が混ざり合うところがいいと思っているからです。多様な入試は最近になってようやく国公立大もAO入試などはやり始めていますが、ここまで大胆に多様性を求めた入学政策を取っているのはあまり類を見ません。 立命館はミニサイズの京都大学になりたいわけではありません。同じような学力の人ばっかりでおもしろい大学といえますか?それでは一生京都大学には勝てません。立命館出身のイノベーターが近年多く輩出されているのも、この多様性という畑を大事にしてきたことにほかなりません。学生の価値観は多様です。研究をふかめるのが得意な人、スポーツが得意な人、文芸活動に長けた人、人をまとめるのが得意な人、人を楽しませるのが得意な人、いろんな人がいます。 学生の本分は学問です。間違いなく学問です。しかし全員が全員、学問好きのアカデミシャン志望だったらちょっと気持ち悪いですよね。 社会に出れば大学よりももっと多様な世界が待っています。そして上司も部下も同僚も選べませんし、好き嫌いなどいう前の協力して仕事しないと結果がでません。サラリーマンにせよ公務員にせよプロの世界で一人でできることなどたかが知れているのです。文科系も、体育会も、真面目くんもみんなで協力して目標に向かって仕事をするのが社会人です。この人とは一緒にできませんといったとたんに、言った本人が孤立します。アーティストや起業家なら一人で好きにできそうに思えますが、逆です。いい作品を出そうとすれば、いい事業を起こそうとすればするほど、他者の協力が必要になります。学力差のある 他者を切り捨てるのは簡単です。しかし切り捨てるということは自分も一つ知ることを放棄するということです。マツコデラックスではありませんが、学力はそれほどではないが何か得意なものを持つ人の「知らない世界」を知ってみるということからスタートしてみてはどうでしょうか?

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