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軍事や安全保障の専門家の方が核兵器の威力や使用を論じるとき、我々が広島や長崎について見聞きしたような具体的な被害のことは、いつも念頭に置かれているのでしょうか? それはもはや別個の次元の話として割り切っておられるのでしょうか? もし実際に使用されて惨事を見たあとでも、論じ方は変わらないのでしょうか?

核によって熱・爆風・放射能で人や街がめちゃくちゃになる(なった)事実と、政治・戦略上の核兵器の概念が、私には結びつきません。よかったら、小泉先生の感覚を教えてください。

仮に核兵器のもたらす帰結に何の感慨も持たない、という人がいたとすると、その人は抑止という概念を理解できないのではないかと思うので(つまり核兵器が使用されることが特に受け入れがたいと感じないであろうと思われるので)、結局戦略を論じることができないのではないでしょうか。 僕は核戦略は非人間性の極みという側面を持ちつつ、実は人間性のバグ、というような側面を持つのではないかという気がしています。

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