6/13

るくんねさんこんにちは。
「原作の要素をどのように二次創作に落とし込むかは、創作者の自由であるはずだ」の質問をさせて頂いた者です。お忙しい中、本気の回答をいただきましてありがとうございます。
和名が好ましいと感じる理由について理由をお尋ねになられたので拙いですが回答させて頂きたいです。
おっしゃる通り、アシリパという名前は美しく意味のある名前です。ただそれでも現パロの二次創作において和名が好ましいと思うのはなぜかというのは、その創作者が望んだわけでもないのに同化政策が進んだ現在に身を置いているからではないでしょうか。

確かに同化政策自体は決して自然なものではなく、肯定できません。ただ残念ながら、実際のところ私達は同化政策が進んでしまった世の中に暮らしています。
おっしゃるとおり、同化政策においての和名とはルーツを浄化し、個人の尊厳を奪うものです。ただし、現在における和名もそのような位置付けとして捉えることは現在和名を使って暮らしているアイヌの方へ対する偏見を助長する要因になりかねないと思います。アイヌの血を引く方の中には和名を愛し、和名にアイデンティティを持っている方もいらっしゃるようです。
和名を使用する事は倫理上好ましくない表現のひとつ、と明言する事に危うさを感じます。
私のいち意見にしかすぎませんが、明治時代の同化政策によってアイヌの方に付けられた和名は「和名」とし、現在のアイヌの方が名乗られるものは「日本語名」と分けて考えるべきと思っています。二次創作のいわゆる現パロで使われるアシリパさんの明日子という名前も、私の考える日本語名の位置づけと考えています。

和名を使用した二次創作全体が一纏めに批判されるべきではないと思うというご意見が聞けて良かったです。ただ「和名を使用する二次創作者は社会倫理が同和政策に肯定し、加担していると捉える」と考え、ツイッター上で発信し続ける人がいる限り明日子という名前を使用する二次創作者は悲しいですが批判の的になりえるでしょう。この問題は棲み分けでは済まないという意見も拝見しましたが、(和名の歴史的背景は認識したうえで)明治時代も現在も和名の意味は同じ意味であると捉えるものと、そうとは限らないと捉えるもので棲み分けるという事はできないものか、と考えております。

お返事ありがとうございます。注4にも記載しましたように、「明治38年(旅順攻防戦)前後を生きた「アシㇼパ」の「戸籍上の名前」と現代に生きるアイヌルーツの人々の名前が異なる文脈を持つ可能性を留意しておく。本文は「アイヌ和名」ではなく、「アシㇼパの和名」についての論考である。」という立場です。「和名を使った二次創作」という広い範疇の話はしておりません。  私以外の人間の苛烈なやり合いについて、認識しうるところではありますが、言論の自由もありますゆえ、すべてを否定しやめろとは言えないわけです。そのために、ここでこうしてブログを解説し、質問者様を始めとした多様な意見を掲載し、「立ち止まって考える」「最終的には自分で決める」ということを、行っていただきたいと考えました。私の論考やブログはあくまでも一つの情報であり、あなたの判断を強制するものでもありませんし、「最終的には創作者の自由である」という立場です。  質問者様の判断を個人的に糾弾することは決してありません。意見が違う、認識が違う、それは己が自己であり、あなたが他者であることの証です。  多くの人に納得のゆく判断をしてほしい、そしてそれはいつでも立ち止まり考え直すことができることを知ってほしい、という思いです。これからも受け取った質問を更新し続けますので、気になった際はぜひご確認ください。 「棲み分け」については少々お待ちくださいね、他にも同様の質問を先に頂いており、後ほどそちらにて回答いたします。  ご質問ありがとうございました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク