10/5

最近、『本当に野球選手への応援なのか?』と改めて平文で読むとモヤモヤする応援歌が多いなと感じています
「パームボールのジャングルさ」やら「ハマのギャルが~」なり、変な応援歌は昔からありましたが、大抵、一種のその選手「らしさ」の側面が歌詞の中にあったように思います
一方最近散見する、短調や難解な単語や言い回しを乱発したり、歌詞の主体がなぜかファンに向いているような応援歌は、その選手へ「頑張れ!」を伝えるメッセージ性のある応援というよりも、応援する側の自己満足に終始している感じが否めません(応援自体がそもそも自己満と言われればそれまでですが…)
長々と書いてしまいましたが、なんぶふじさんは、応援歌にメッセージ性は必要だと思いますか?長文失礼しました。

応援している選手に対するメッセージ性というのはあったほうが基本的にはよいものと思いますし、応援を受ける側よりも応援する側が主体となっているような応援歌に疑問を抱く気持ちも理解は及びます。とはいえ、歌詞なし応援歌が応援歌たり得ないかというとそんなこともないと思いますし、原則8小節という短い枠組みの中で差別化を図るため個性的なメロディや歌詞を作ることに対してもある程度は寛容に受け入れたいスタンスです

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク