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言論の蛸壺化とかエコーチェンバー、フィルターバブルという概念は当を得たものだと思うのですが、その概念を認めて、そうなってしまうことへの懸念を表明している人が、どういうわけか歴史修正主義者に対面してぬるま湯的、しばしば本人が歴史修正主義者に重ねるかたちでそれっぽい発言をするのすら見かけるのですがあれはどうしてですか?
それについて関心も知識もないというのは別にいいのですが、ならなぜ
「私も南京事件でいわれる被害者数は疑わしいと思うけど」
このての不必要なエクスキューズをいれるのでしょうか?
歴史修正主義は「言論の蛸壺化」というときの模式種にあたると私は見做しているのですが、彼らが「議論」を吹っかけて周っている限り蛸壺化することはない、とかそういうことですか?

そもそもそういうことを言っている人間が主題となっている事案について基本的な知識を持ち合わせていないことがほとんどだからです。南京事件について挙げると片瀬久美子の言い草が典型的ですね。あんなの基本的な事実を概説書で把握していたら到底成し得ない発言ですよ。

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