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オヤジの余命が3ヶ月と言われた時から本格的な準備を始めました。 SNS展開はその一年前からでしたが、アナログとしての既存顧客への顔繋ぎ、手作りチラシの作成、現場前の案内板設置、工事看板作成などでしたが、すべて自分で行っていたので、手探り状態。 その間にも営業を一手に担当していたオヤジ不在の影響は大きく、若いお前になにができる?と門前払いや、完全否定。 オヤジを100%支えていたつもりがお客様にはそう見えない現実。 オヤジは結果一年生きてくれましたので、亡くなるまでに私も死に物狂い、地獄を何度も見ながらオヤジの最期に逞しさを見せれたのが唯一の救いでしょうか。 その間も仕事の鍛練は常に行いました。 どんな準備をという答えに関しては全て、全身全霊でお客様に向かうための心構えとその心構えの根拠となる実績作りです。 少し脱線しましたが、師匠はオヤジで、目で見て覚えろと言われ、決して誉められず、全力で否定される。 ただ、仕上がった建物を眺めた時だけ、よくやったと一言だけいう人でした。 私にはなぜ厳しく当たるのか理解していましたから、反発もしましたが、決定的な喧嘩は一度もなく、尊敬するオヤジであり師匠でした。
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